床に倒れている男を見ながら、オレはとりあえずは安堵の溜息をついた。
あ〜、オレ、ほんとサッカーをやってて良かったよ。
今ほど感謝した事ないね、きっと。
さて、一時的に危機を脱したのはいいけど、今度はここから逃げねーと。
いやぁ、ほんとに変声機も無事で何よりだ。
ここは、コイツを使ってやるか!
オレは変声機を倒れている男の声に合わせた。
息を吸って、呼吸を整える。
そして、ドアの向こうの見張りの奴に呼びかけた。もちろん、あの男の声で。
「 《おい、ちょっと手を貸してくれ!!》 」
「何だ?どうした?」
ドアの向こうで声がした。さっきの奴だ。
「 《いいから、早く!!》 」
オレはそう言いながら、ドアのすぐ左の壁際に背を向けて立ち、扉が開くのを待った。
すぐに鍵を開ける音が響き、次に重い鉄のドアが開く。
と、同時に部屋に踏み込んできた男の腹めがけて、オレは右足を繰り出し、
見事ヒットして、奴が前かがみに倒れこんできたところを、間髪入れずに
今度は首めがけて、肘で強打してやった。
こんだけやっときゃ、当分起きねーだろ?
オレは、倒れたそいつを素早く部屋に引きずりこんで、中からドアを閉めた。
ちょうどいいことに、部屋にはまだ余分なロープが落ちていたので、
それでそいつも縛り上げ、さっき倒した奴の隣に二人仲良く寝かせてやった。
さてと。
これで、ここからは逃げられるけど・・・。
やっぱこのまま手ぶらで帰るわけには行かないよなー。
『TRUE BLUE』も取り戻さねーと!
オレはドアを少しだけ開けて、外の様子を窺う。
狭い船内の廊下には、他に人影はない。
よし!脱出しよう。
オレは、見張りの奴からちゃっかりいただいたキーで、代わりに奴らを閉じ込めてさっさとその部屋から抜け出した。
薄暗い廊下を注意深く進む。
が、他の連中と出くわす事は無かった。
意外に相手は少数なのかもしれない。
オレを襲った奴らを含めて、今のところ3人しか見てないけど。
敵は少ないに越した事ないからな。
オレはそんな希望的推測をしながら、船内の中心部へ向かった。
途中、小さな窓から月の光が差し込んで、そこだけ明るく照らしていた。
外を覗くと、海が黒いじゅうたんのように静かにうねっていた。
そんな光景を見ながら、オレはさっきから一つの事がどうにも気になって
頭から離れなかった。
『パンドラ』って一体何なんだろう?
間違いなく言えるのは、それがキッドや黒の組織が狙っている宝石だということ。
これは確信できたのだけれど。
『TRUE BLUE』は、『パンドラ』かどうか未確認だということだし。
ということは、一見しただけではわからないような何か特殊な宝石なのだろうか?
そして、その見分け方をおそらくキッドは知っている。
でもどうやって・・・。
考えを廻らせながら、ふと窓から覗く月を仰いだ。
月・・・。
そういえば、あの時、屋上でキッドは月の事を気にしていなかったか?
オレは、キッドに『TRUE BLUE』が狙ってる獲物かどうか尋ねた時のことを思い出した。
月が関係しているのかもしれない!!
そう思ったその時、何の気配すら感じさせなかった背後から、突然肩をつかまれた。
見つかった!!
オレは慌てて振り返ると、そこに立っていたのは、さっきオレが倒して部屋に閉じ込めてきたはずの男だった。しかもオレを襲った方・・。
ち!もう出てきやがったのか?!
とっさに肩に乗せられた奴の手を振り払い、すばやく後退して距離を取る。
すると、何を思ったか、男はニタリを笑って降参とばかりに両手を挙げてみせた。
一体何のマネだ?!
男の不可解な行動にオレが眉を寄せていると、奴はまたもやフっと笑い
一瞬下を向いた。
俯いたせいで月の光が影を作り、男の表情を隠す。
そして、次に男が顔を挙げた時、それは明らかに先程とは違って見えた。
顔は何一つ変わっていないのに、オレを見る目やその醸し出す雰囲気。
そして、その挑戦的でかつ、不敵な笑み。
こんな表情をする奴は!!
アイツしかいない!!!
「お前!!キッド!!!」
オレは絶対の確信を持ってそう呼ぶと、男はよりいっそう笑みを深くした。
「・・・よぉ、名探偵。」
その声は、まぎれもなくキッド自身のものだった。
「てっ・・・めえ!!」
瞬間、オレはキッドの腕を乱暴に掴んで、細い通路の死角となる場所へ連れ込んだ。
「お前、無事だったのか!?」
「おや、心配してくれたんですか?」
「なっ・・・!!するか!心配なんか!!」
キッドが面白そうにオレを覗き込んでくるので、ついカッとなって声を荒げてしまった。
人が真面目に聞いてやっているのに、どうしてこの男はふざけた事しか言えねーんだ!
と、腹の中では煮えくりかえりながらも、ここは一つ冷静に、頭をリセット。
大きく溜息をついて、改めてキッドを見やった。
「・・・撃たれたんじゃねーのかよ?」
見たところ、ピンピンしてるようだけど。
「ああ、一応、弾は避けたんでね。ただ、グライダーに穴を開けられてさ
バランス崩しちまって急降下。いや、ちょっとアセったよ。おかげで着地に失敗しちゃって、左肩をはずしちゃうし。
肩を元通りはめんのって荒療治で、アレ、結構痛いんだぜ?」
キッドは、まるで他愛の無い話を友人にするような気安さで答える。
まったく・・・。コイツにはどこか神経が一本抜けているとしか思えない。
下手すりゃ、あの高さからコンクリートに激突して死んだって全然おかしくない状況なのに。肩の脱臼だけですんだなんて、ほとんど奇跡みたいなもんだ。
それをまるで何でもないことのように話すのだから。
あ〜、本当にコイツと話をしていると、こっちまで頭がおかしくなりそうだ・・・。
脱臼していたという左肩を、今は何ともないという風に軽く回して見せるキッドに
オレはさっきよりもさらに大きな溜息をついた。
「・・・それで、どうやってここがわかったんだ?
まさか、『TRUE BLUE』に発信機でも付けてたのか?」
するとキッドはあっさり否定しやがった。
「いや。名探偵の後をつけてきた。」
何?!
「・・・って、お前、オレが奴らにさらわれていく所を見てたのか?!」
オレのその問いにキッドはただ、ニヤニヤと嫌な笑いをするだけ。
このやろ〜・・・。
わかったぞ。コイツ、『TRUE BLUE』をあそこに落としたんじゃない。
わざと置いておいたんだ。奴らをおびき寄せてアジトまで案内させる餌にしたって訳か。
・・・にしてもだ。
人がボコボコにされてるのを、黙って見ているとはいい性格してんじゃねーか。
「・・・ったく人をダシにしやがって。いい趣味してるな。」
「まぁ、そう言うなよ。名探偵のあの蹴りも大したモンだったぜ?
ああ、でも左がちょっと甘いかもな。」
うっ!
左が甘いのは、サッカー部時代からのオレの弱点でもあった。
けど、仕方ねーだろ?右利きなんだから!
「うるせー!」
オレは痛いところを付かれたので、ふいと顔を背けた。
キッドはそれに小さく声を立てて笑ってみせるが、実際のところあの男の顔の
ままなので、なんとなく気味が悪い気がした。
「・・・まぁ、何はともあれ、無事で何より。名探偵?」
クスクス笑いながら言うキッドに、どうも憤りを感じてならない。
無事なもんか!殴られた頭や背中は今だって痛いんだぞ!
と、反論してやろうとしたら、キッドは何やらオレの格好をジロジロ見ている。
「な、何だよ?」
「・・・名探偵、心配するな。このことは誰にも言わないでおいてやる。」
なんて言いながら、キッドはオレに同情するような視線を向けた。
はぁ?何言ってんだ、コイツ?
と、キッドの視線の先にあるものに気づいた。
シャツのボタンというボタンが吹き飛び、乱れてしまっている自分の着衣。
オレは慌ててシャツの前を掴み、それまで露出していた肌を隠した。
「バ、バーロー!!オレは何もされてねーよ!!」
真っ赤になって、オレが怒鳴りつけると、キッドは腹を抱えて笑いやがった。
しかも涙まで浮かべて。
「はは・・・。わかってるって。そんな簡単にヤられるようなタマじゃねーもんなぁ?」
「・・・ったく。ふざけた事ばかり言いやがって。」
一通り笑い終えたキッドに対して、オレはもう何度目になるかわからない溜息をついた。
「いつまでもここにいても仕方がない。オレは『TRUE BLUE』を取り戻しに行く。お前も、奴らから奪いにきたんだろう?」
オレは再び通路に出ようと辺りの状況を確認しながら、キッドに言葉をかける。
奴はそれに対して、いつもの不敵な笑みで返した。
「なら、急いだ方がいいぜ。この船はじきに上海に向けて出航する。
奴ら、あの宝石を上海マフィアの黒龍に売りつけるつもりだ。」
「なるほど。では、早いとこケリをつけに参りましょうか。」
奴らの仲間の一人に完璧に変装しているキッドは、何の気兼ねもなしに
スタスタと歩き始めた。
それに比べて、オレときたら見つからないように、物陰に隠れながら慎重に
進まなければならない。
おい、こら!待て!!
「キッド!言っとくけど、『TRUE BLUE』はお前にも渡すつもりはないからな!」
オレのその言葉に、キッドは笑顔で一瞬振り向いただけだった。
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話があんまり進んでないよう・・・。
おかしい。今回でラストまで行く予定だったのに。
まぁ、仕方がない。
次回、「TRUE BLUE」奪回編!ということにしておきましょう。
2001.05.26