ふと、目を開けると見慣れない高い天井が拡がっていた。
中央には、ゴージャスなシャンデリアなんかあったりする。
・・・何だ?ここ・・・。
オレは良く働かない頭で考えた。
不意に頭に持っていった手が、こめかみのあたりに何か柔らかいものを感じる。
ガーゼのようだ。
・・・え?
そのガーゼの辺りに触れたとたん、チリっとした痛みが走った。
瞬間、オレは覚醒する。
!!
オレ、生きてる・・・!!
そのままバサリとベットから起き上がる。
そこは、あの血塗られたビルではなかった。
・・・けど、助かったってわけじゃねーよな。
室内を見渡したが、ビスク・ドールの姿は見えない。
・・・ここってもしかして、ホテル?
オレはそのまま窓へ向かった。カーテンを開けると大きな窓の向こうに美しい夜景が
拡がる。その景色には覚えがあった。
・・・都庁が見える。新宿か。
オレは場所的に大体自分がどのホテルにいるのか、見当がついた。
で、ここはどうやら最上階らしいな。
部屋の作りから見ても、スイート・ルームか?
そう思いながら、ドアを開ける。その向こうにはバス・ルームがあった。
やはりゴージャスな作りである。
オレは洗面台の鏡に自分の顔を映してみる。
そのまま、こめかみに貼られたガーゼを取り外した。ビスク・ドールにやられた傷だ。
ナイフですっぱりと切られた時は、かなりの出血ではあったものの、
すでに血は止まっていた。
思ったほど傷は深くねーみたいだな。
そう思いながら、オレは顔を洗った。
タオルで濡れた顔を拭う。きれいさっぱりと血を洗い落としたはずなのに、
あのむせ返るような血の臭いが、どうしても鼻につくような気がした。
・・・キッドの奴は、大丈夫だったろうか?
ひどい傷だった。本当ならすぐにでも病院へ連れて行きたいくらいの・・・。
オレはもしものことなどないとは確信しているものの、
かなりのケガを負っている筈のキッドに不安を拭い去る事はできなかった。
・・・ビスク・ドールはオレを利用して、キッドをおびき出すつもりだろう。
オレは、ぎりっと唇を噛み締めた。
・・・これ以上、勝手なマネさせてたまるかよ!!
そう思うと、洗面台に置いてあった髭そり用の剃刀の刃を抜き取った。
「やぁ、気分はどうだ?名探偵。」
部屋に戻ると、さっきはいなかったはずのビスク・ドールがベットに腰掛けていた。
口元は笑っているが、相変わらずその眼は人形のように何の感情も映し出さない。
オレは、奴を睨み返す。
「パーク・ハイアットのスイートだなんて、ずいぶんと豪勢な部屋を借りてるんだな。
・・・で、今、どういう状況なのか、説明しろよ?」
オレの台詞にビスク・ドールはニヤリと笑って見せた。
「キッドにはここの場所は伝えてある。あとはアイツが来るのを待つだけさ。」
・・・くそ!
オレは拳を握り締めた。
何とかしなければ。このままじゃ、奴の思いどおりだ。
たとえ、キッドがこの場に現れたとしても、あんな体じゃまともにビスク・ドールと
やり合うのはまず無理だ。
おまけにオレまで人質に取られていたら、アイツが思うように動けるわけが無い。
アイツの足を引っ張るようなマネだけはごめんだ。
・・・でも、どうしたらいい?!
相対的にはどうしたってかなわない敵。
そんな奴を相手に、オレは何ができるんだろうか?
オレは薄笑いを浮かべているビスク・ドールに目をやりながら、
考えをめぐらせた。
当然、ベストなのはここからの無事脱出、かつ、奴を捕らえることだけど、
はっきり言って、この状況では奴の逮捕などかなり厳しい。
・・・とりあえずは、まず脱出か。
オレがうまく逃げ出す事ができれば、キッドもわざわざここへ来る必要も無くなる
わけだし。
隙のない相手だけど、様子を伺って、チャンスを逃さず慎重に行動すれば、
少しでも勝率を上げる事ができるかもしれない。
とにかく、やれるだけやってみるんだ!!
オレはそう決心した。
「・・・逃げようと思ったって、無駄だぜ?待ってたって、このオレが隙なんざ
作らない事ぐらい、もうわかってるだろう?」
ビスク・ドールが赤い唇を持ち上げて笑った。
わかってるよ!そのくらい!!
けど、だからって大人しく助けを待つだけなんて、冗談じゃねーんだよ!!
そう思ってオレは返事の変わりに、鋭い目で睨み返してやった。
しかし、奴はそれを鼻で笑う。
「相変わらずイイ眼をするな、名探偵?まぁ、そう心配しなくても、今すぐお前を
どうこうしようっていうつもりはないぜ?
キッドのオトモダチだっていうだけだって、充分興味はあるからな。」
奴の眼が妖しく光る。
オレはそれを見ながら、ずっと疑問に思っていた事を聞いた。
「・・・なぜ、そこまでキッドに執着するんだ?」
すると、奴はクスリと笑った。
「執着ね。まぁ、確かにそう言われてみればそうかもな。
けど、オレは別に仕事のパートナーを探していたわけじゃない。
そんなもの、オレには不要だからな。
ただ、アイツを見た時、何かを感じたんだよ。・・・このオレが誰かを認めるなんて
珍しい事なんだぜ?なのに、アイツときたら、くだらない石ころをバカみたいに
追いかけてるだけなんて、その才能が泣いてるってもんだ。
だから、オレと組ませてその素晴らしい才能を開花させてやろうと思ってさ。」
「・・・キッドにコロシの才能があるっていうのか?」
「それだけじゃないね、アイツはマルチだろう?なんだってうまくこなす器用なところがあるようだしな。
・・・惜しいんだよ。私怨なんかに拘って、せっかくの才能が台無しだ。」
「・・・私怨?」
キッドが『パンドラ』という石を探している事は、オレも知っていた。
でも、なぜそれを探しているかなんていう理由までは聞いた事が無かった。
「復讐なんて、その気になればいくらだってできるのにな!」
ビスク・ドールから聞く言葉に、オレは正直、驚きを隠せないでいた。
奴はそんなオレの様子を大して気にも止める風でもなく、そのまま近づいてくる。
陶器のような真っ白な手がゆっくりとオレの方へと伸びた。
ひやりとした冷たい感覚が、首に起こる。
「・・・なんだ。こないだの跡、もう消えちまったのか。」
先日まで残っていたはずの首を締められた跡のことを言ってる。
再び奴に首を触れられて、あの時の感触がよみがえって来てしまった。
オレは慌てて乱暴に奴の手を振り払う。
直後。
ピンポーン!と来客を知らせるチャイムが鳴った。
まさか!!キッド?!
オレは目を見開いた。オレの心の内を読んだのか、ビスク・ドールは笑う。
「残念だが、まだキッドじゃない。ルーム・サービスを頼んでおいたんだ。
名探偵もそろそろ腹を空かしているんじゃないかと思ってね。」
言いながら、奴はオレの前から遠ざかると、そのまま部屋を出て行った。
オレはそれを見送りながら、ドアが閉められると、ほっと息をついた。
・・・それにしても。
キッドが復讐のために、パンドラを狙っているだなんて本当なんだろうか?
もしそうなら・・・。
その相手は、十中八九、例の組織だろう・・・。
キッドが組織と敵対関係にあるのは知っていたけど、それが単に同じ石を
狙っているだけでななくて、奴の言うととおり、私怨も絡んでいるとしたら・・・。
・・・キッドは、一体組織をどうするつもりなんだろう?
オレは心の中に小さな黒い染みが拡がるような、そんな気がしていた。
程なくして、部屋にビスク・ドールが戻ってくる。
ワインやら、ちょっとした食事が乗ったワゴンと一緒に。
「とりあえず、乾杯でもするか?」
奴がグラスをオレの分も用意する。
け!何に乾杯するって言うんだよ!!ちくしょう!!
確かに酒なんか飲む気はさらさらなかったが、どうにも喉が乾いていた。
なので、ワゴンにあったミネラル・ウォーターの入ったボトルをすっと取り、そっちを
ガブガブと飲んだ。
ビスク・ドールはワインを片手に、トレイにのったハムやチーズを口に運ぶ。
「なかなかイケるぜ?」
なんて言いながら。
確かに美味そうではあるけど。
とても食欲なんてない。
オレは飲み終えたボトルを戻そうと、近づいた。
その刹那。
突然、ワゴンが火を噴いた!!
激しい炎は、あっという間に火柱となり、天井までも焼き尽くす。
辺りは一面の火の海となった。
実に一瞬の出来事だった。
そして、焼けるような熱さの中、オレはビスク・ドールとの間にワゴンを挟んで、
分厚い炎の壁が出来ている事を知った。
・・・今だ!
オレは、両腕で顔を覆うと、そのまま炎に飛び込んで、部屋の出口へと向かった。
背中に奴の負ってくる気配は感じられなかった。
きっと炎が邪魔をしてくれてるんだ。
今のうちに、外へ!!
そう思って、ドアを開けて、オレは唖然とした。
なんと、外の廊下にも、すで火がまわっていたのである。
オレは一瞬出るのを躊躇したが、まさか部屋に戻るわけにも行かない。
そのまま、火の海の中を走りながら、非常階段の方へと急いだ。
途中、ホテル内の非常ベルがけたたましく鳴り響く。
同時に天井のスプリンクラーが作動し始めた。
しかし、そんなものでは到底治まるような火の勢いではなかった。
火の粉を振り払いながら、オレはひたすら走った。
いきなり燃え出したワゴン。
その出火原因には、思い当たる節があった。
それは。
例の薬品を使った時限発火!
おそらく同じ手口で部屋の外にも火を放ったのだろう。
こんなことができるのは、奴らしかいない!
組織の関連施設を潰したビスク・ドールへの報復のつもりか。
・・・何にしても、ナイス・タイミングだったぜ!
そう思いながら、非常階段へとたどり着いたが、下へと避難する道は既に炎に
包まれていた。
「・・・そう甘くはねーよな・・・」
下りれないなら、上へ行くしかない。
オレは舌打ち一つすると、屋上へと続く階段を上がっていった。
◆ ◆ ◆
同じ頃、キッドは既に新宿へ来ていた。
西口の高層ビルの屋上で、白いマントを靡かせて優雅に佇んでいる。
目を閉じて、まるで瞑想にでもふけっているようである。
その顔色は紙のように、白い。
そして。
すっとその目が開かれる。
その目の先には、パーク・ハイアットが映っていた。
キッドはその手を胸の傷へ持っていく。
傷口は、あの少女がふさいでくれたが、出血多量で身体がまいっているのは
充分承知だった。
今、こうして立っていられるのも、去り際に彼女がくれた薬のおかげなのだ。
『LSDに手を加えたもの』
そう彼女は言っていたが、一体どんな手を加えたんだか。
キッドは苦笑した。
・・・しかし、何で、こんな面倒なことになっちまったかな・・・。
キッドは溜息を一つ漏らしながら、そう心の中で呟いた。
もともとはあの殺人狂に気に入られてしまった自分のせいではあるのだが
そこで罪悪感を感じてしまうようなしおらしさは、キッドは持ち合わせてはいなかった。
はっきり言って、これ以上ないくらいに気が立っている。
もともとビスク・ドールは自分に対して、何かとちょっかいをかけてくるウザイ相手では
あったのだが。
名探偵に手を出したというのが、どうにも気に入らない。
「・・・あのヤロウ、許さねえ・・。」
キッドはそう毒づいた。
胸の傷の痛みが脈打つたびに、怒りへと変わっていく。
ぶっ倒してやる、と決心しながらも、頭の片隅でキッドは冷静にどう戦うべきか
考えつづけていた。
キッドはこと戦いに関しては、異常なまでに慎重といってもいい。
前回、あんなボロボロにやられるまでも無く、ビスク・ドールの実力ならとっくに
承知していた。
万全の体勢で臨んだのにあのザマだ。
今、こんな状態でまたあのナイフを食らったら・・・。
・・・死ぬか?
キッドはクスリと笑った。
『怪盗キッド』になった時から、どうせ自分はロクな死に方をしないだろうとは思ってきた。
・・・でも、もし最期にアイツの傍にいれるなら。
少し早いが悪い死に方じゃあない。
そんな考えがキッドの口元に微笑をたたえさせたのだ。
ま、それでも名探偵だけは絶対に助ける自信はあるけどね!
「さて、行くか。」
呟きと同時に、キッドはビルの屋上を蹴って、ふわりと飛び降りた。
落下速度を利用して、マントを白い翼へと変える。
瞬間、胸に灼熱感が走り、キッドは僅かに眉を寄せた。
それでも体勢は崩さずに、白い翼はまっすぐにパーク・ハイアットへ向かって行った。
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