白馬が転校してきてからというもの、快斗の学校生活は至極健全なものへと変わっていった。
快斗にしてみれば、はなはだ迷惑な話である。
ただでさえ、隣の席にはお節介な幼馴染がいて、母親のごとくかまわれているというのに。
「黒羽君、教科書、今、26ページだよ?」
・・・なんて具合に熱心に話し掛けられるものだから、オチオチ寝てもいられない。
転校生な故に教科書が揃っていない白馬に、快斗が代わりにきちんと見せるようにとは担任から仰せつかってのことである。
もちろん、快斗にしてみれば、教科書なんてどうだっていい。
はっきり言って、そっくりそのまま貸してやったっていいくらいであった。
「・・・あのさ、教科書は勝手に見てていいから、寝かしてくんないかな〜?」
なんてぼやいてみても、この真面目な転校生は笑顔でかわし、
「授業はちゃんと聞かないとね。」
などと言う始末であった。
そんな状態を青子は、良い傾向だ、と笑い、白馬に対して、これからも快斗をよろしく、なんて言ってのけるものだから、快斗しては踏んだり蹴ったりであった。
実際、席が隣同士というのはやっかいなもので、何かにつけてペアを組まされるものだからどうしたって快斗は白馬との接触を余儀なくされた。
それが快斗にとって、好ましい状況ではない事は言うまでも無い。
正体がバレるようなドジはまさか踏むまいとはいえ、できればお近づきになりたくない相手であることには変わりないのだから。
普段なら、世渡り上手な快斗のこと、適当にあしらう事くらい造作も無いのだが、
どうもうまくそれが通じないので、仕方なくあからさまに素っ気無い態度などとってもみたりした。
それは、元来外面が良いと有名な快斗にとっては、めずらしい風ではあったが、
バカがつくほどの真面目な白馬と、いくら成績優秀でも不真面目のレッテルが張られている快斗ではウマが合わなくても無理は無い。
・・・そう、周りの者も思っていた。
・・・今時、こんな天然記念物みたいな奴、いるんだな。
白馬に関する快斗の率直な感想はこうであった。
まさに絵に描いたような優等生ぶり。こんな堅物、はっきり言ってお目にかかったことなどない。
フザけた会話を投げてみたって、こちらの悪送球に終わるのだ。
ロンドン帰りでボケている・・・ってのとは、ちがうよな。・・・天然か。
結局、ここ数日の付き合いで、快斗が出した結論は、白馬が探偵であろうとなかろうと自分にとっては、全く持って苦手な人種だということだった。
・・・頼むから、早く席変えしてくれ。
それは、快斗の切実な願いだった。
◆ ◆ ◆
「黒羽君、黒羽君!」
「・・・・何かな?、転校生・・・。」
相も変わらず机に突っ伏している快斗を、白馬が呼び起こす。
「休み時間は、終わったよ。次は体育だから、移動しないと。
今日は、確かバスケット・ボールをやるそうだけど、黒羽君はバスケットは得意かい?」
言いながらにこやかに席を立つ白馬を、快斗は顔をしかめながら見上げる。
「・・・別に。」
欠伸をしながらそう答えると、快斗も体操着を持ってノロノロと立ち上がった。
実は、快斗は昨夜は仕事の下見などしていたせいで、満足に寝ていない。
寝不足な身体に、体育の授業など億劫な以外なにものでもなかった。
・・・フケよっかな・・・。
そんな考えが頭を過ったが、白馬に腕を引きづられ、仕方なく快斗は体育館へ向かったのだった。
めんどくせ〜・・・。
そう思いながら、ちんたら着替えていた快斗も、いざ、体育の授業が始まってしまえばそれなりにご機嫌になっていた。
もともと身体を動かす事は大好きである。
多少、睡眠不足で疲労が溜まっていようが、そんなことより楽しさの方が勝っていた。
ピピッ!と、体育教師の笛が吹かれる。
「よぉ〜し!じゃあ、今から紅白戦やるぞ!!」
教師の指示どおり、生徒達は紅白のチームに分かれる。
「なぁ、負けた方が後片付けと、今日の昼飯おごるってのはどう?」
「いいじゃん、それ!!」
なんて誰かが提案し、皆がそれに賛同したため、試合は罰ゲーム付きになったものだから、勝負は真剣そのものとなった。
ちなみに快斗が白、白馬が紅組である。
通常であれば、快斗がいるチームが圧倒的に勝つ事に決まっているのだが、今日は違った。
白馬がなかなかどうして、結構ヤルのである。
・・・へぇ、アイツ、スポーツもできんのかよ。
何気に感心して、白馬のプレーを見ていた快斗であった。
結局、勝負は互角に進み、快斗vs白馬のチームで決着をつけることとなった。
「おい!頼むぜ!!快斗!!白馬になんか負けるなよ!」
チームメイトが快斗に熱い声援を送る。
「当然でしょ!まっかせなさい!!」
快斗は不敵な微笑みを浮かべて、手にしていたボールを、3ポイントシュートの位置より遠いところから軽く投げて、見事ゴールしてみせる。
そのパフォーマンスに、チームメイトは、どっと湧いた。
もともと、快斗は負けず嫌いな性分である。
・・・というか、負け戦などしないタイプの人間なのだが。
とにかく、勝負においては、勝つ事以外、経験したくないし、するつもりもなかった。
そんな快斗の様子を、白馬も自信有りげに静かに笑ってみていた。
やがて、試合が始まる。
軽やかなボール裁きで、見事にコートを駆け抜けていく快斗を、白馬が追走する。
・・・ほ〜。このオレについてこれるとは、大したもんだ。
後ろの白馬を振り返りながら、快斗は笑った。
そして、快斗のパスしたボールを受けたチームメイトが、シュートを決めようとゴールを狙うが惜しくも狙いが狂い、ゴールポストに弾かれる。
それを。
リバウンドしようとして、快斗は軽やかにジャンプした。
同じく白馬もジャンプする。
まさか、自分の跳躍力に白馬がついてこれるわけがないと、タカをくくっていた快斗は、
隣に並んだ白馬の顔に驚いた。
そして、お互いにボールを取ろうとした瞬間、
二人の身体は、空中でもつれ合ったまま、コートに落ちた。
「だ、大丈夫か?!」
教師を含め、クラス・メートがいっせいに倒れた二人に駆け寄る。
快斗はというと、白馬にまるで押し倒されたかのような体勢になっていた。
・・・どけよ!この!!重いだろーが!!
快斗はそう思いながら、白馬の身体をつっぱねる。
が、白馬はどくより先に顔を上げるなり、至近距離で快斗を覗き込んだ。
「ご、ごめん!!大丈夫かい?黒羽君!!」
「・・・大丈夫だから、どいてくれる?重いんだけど。」
快斗がひきつった笑みでそう言うと、これは失敬!とばかりに白馬は慌てて立ち退いた。
遅れて、快斗も立ち上がる。白馬から差し出された手には、あえて気がつかない振りをして。
瞬間、左足首に痛みが走った。
あらら?
・・・イケね。ひねったか。
快斗は心の中で舌打ちをした。・・・が、しかし。
ゲーム続行には、特段問題はないだろう。
即座にそう判断すると、快斗は変わらぬ軽い足取りで、コートの外に転がったボールを取りに行く。
「どっちボール?先生!」
「あ、白、白ボール!!」
ピピっと笛を吹きながら、体育教師は快斗の質問に答え、試合再開とばかりにコートに集まっていた
クラスメート達も散り散りに出て行く。
そうして。
軽いドリブルをし、ライン外から仲間にパスを出そうとした快斗の腕を、いきなり白馬が掴んだ。
「・・・足をどうかしたんですか?」
思いがけない白馬の台詞に、快斗は僅かに目を見開く。
げ!何でコイツ、わかるんだよ?!
白馬の並々ならぬその洞察力に、快斗は内心、かなり驚いていた。
無論、そんなこと顔には出さないが。
・・・さすがは、名探偵殿ってか。
「・・・別に、大した事ねーよ?このくらい・・・。」
快斗はにっこり笑いながらそう言って、白馬の腕を振り解く・・・はずだった。
が、それは叶わない。
なんと、次の瞬間、快斗は白馬に抱きかかえられていたのである!!
・・・!!なっ!!
あまりに突然の予想外の白馬の行動に、快斗ははっきり言って抵抗の「て」の字すらなかった。
けれども、すぐに我に帰る。
「な、何すんだ!!バカヤロウ!!降ろせ!!」
とたんに快斗はわめき散らし、ジタバタと暴れたが、白馬の力の方が勝るのか
その腕から逃れる事はできなかった。
「先生、黒羽君がケガをしたようなので、保健室へ連れて行きます!!」
唖然としてその光景を見守っていた教師を一瞥すると、白馬はきっぱりとそう言いきった。
そしてそのまま、わめき、叫びまくる快斗抱いたまま、颯爽と体育館を後にしたのである。
「ふざけんな!てめー!!コラ!降ろせって言ってんだろ!!」
そんな快斗の声を響かせながら。
◆ ◆ ◆
「・・・こんなに腫れているのに、よく平気な顔していられましたね。」
快斗の左足首に湿布を貼ってやりながら、白馬がやれやれと溜息をついた。
ここは、保健室。
生憎、保健婦さんが不在なようで、代わりに白馬が快斗の手当てを行なっているところである。
体育館から白馬に運ばれている間中、喚き続けていた快斗もここまで来ると、さすがにだんまりである。
顔ははっきり言って仏頂面そのもの。ポーカーフェイスなど気取っている場合ではない。
というか、その必要は無い。たまには意思表示も大事である。
まぁ、当然であろう。
快斗にしてみれば、すべてが予定外のことであった。不機嫌になるのも頷ける。
・・・これぐらい、何ともねーのに!!
たとえ足を少しくらい痛めていようが、いつもと変わらぬプレイをする自信が快斗にはあった。
なのに。
・・・気に入らない!!
勝負が途中でお預けになった事も。
足の不調を気づかれた事も。
クラスメートの前で、あんな風に抱き上げられた事も。
「・・・余計なマネすんなよ。」
低い声で快斗が呟いた。
が、それにはおかまいなしで白馬はもくもくと手当てを続ける。
白馬の態度がさらに快斗の怒りをあおった。
・・・てめェ、無視してんじゃねーぞ!コラ!!
「・・・あのな、これくらい事、何でもねーんだよ!!」
続けざまに快斗がそう言うと、湿布を包帯で固定しながら白馬がやっと視線を快斗へ送る。
いつものものよりやや真剣な眼差しで。
「黒羽君、ただの捻挫だからといって甘く見ていると痛い目に合いますよ?
一度するとクセになりやすいし、もし靭帯でも傷つけていたら、完治するまで相当な時間がかかってしまいます。
見たところ、骨には異常はないようですが、一応病院できちんと診てもらった方がいいでしょう。」
相変わらずの丁寧な口調。で、おまけに正論。
白馬にそうまくし立てられて、快斗は思わず口をへの字にして黙ってしまう。
一方、すっぱりとそう言いきった白馬は、諭すように快斗を見つめて。
・・・何で、コイツに説教タレられなきゃならねーんだ?
怒っているのは自分の方なのに、なぜか白馬の方が自分に対して怒っているようで、快斗は怒りのやり場を失った。
・・・っていうか、何でコイツが怒ってんだ?
ひどく真面目な顔をして、自分に意見する白馬の顔を見ているうちに、快斗は反論する気が
失せていく。このテの奴には、きっと何を言っても通じないに違いないのだ。
快斗はそう思った。
・・・やっぱ、オレ、コイツ、ダメかも。
快斗は小さく溜息をつくと、もうそれ以上口は聞かずに、大人しく手当てが終わるのを待った。
◆ ◆ ◆
終業のベルが鳴り響く。
包帯を巻かれた左足首を投げ出したまま、快斗は頬杖をついて大きな欠伸をする。
そこへ、青子が心配そうに顔を覗かせた。
「快斗、足、すごく痛むの?大丈夫?」
そんな青子を快斗は上目使いに見つめると、ニヤリとした。
「・・・ダメ。歩けそうもないからさ、おんぶしてくんないかな?」
とたんに青子は顔を赤くする。
が、次の瞬間には、ナニ言ってんのよ!冗談じゃないわよ!と吠え出した。
予想通りの青子の反応に、快斗はクスクスと笑う。
そんな2人の会話に白馬が割って入った。
「黒羽君、もしよければ僕が車でお送りしましょうか?」
その白馬の台詞に、快斗は、はぁ?と眉をつり上げる。
「え?白馬君、車で・・・って。タクシーでも呼んでくれるの?」
「いえ。家に連絡して車をよこさせようかと。すぐに来ますよ?」
「へぇ!そうなんだ!!すごいね、白馬君のお家って。ね、快斗、どうする?」
心底白馬に感心したような青子は、送ってもらった方がいいんじゃないかと言いたげに快斗を見た。
しかし、快斗はそんな白馬の申し出をにべもなく断る。
「・・・冗談だよ。別にこれくらい何ともねーんだからさ。1人で歩いて帰れマス。
んじゃね、お先!!」
言いながら快斗は席を立つと、左足をヒョコヒョコさせて教室を後にした。
不自然な足取りで、快斗は1人家路をたどる。
ちなみにこの場合、左足を引きずっているのは、足首の捻挫が痛むからではない。
しっかりと包帯で固定され過ぎていて、足首が曲がらないからなのである。
まぁ、捻挫は湿布をしてしっかり固定するのが当り前と言えば当り前なのだが。
やがて快斗は、キョロキョロと辺りを見回して同じ学校の生徒がいないのを確認すると、
通りすがりの公園へと入って行った。
そのままベンチの方へと向かう。
ベンチへどっかりと腰掛けると、カバンを横に放り、左ひざを抱える。
それから、何を思ったか、いきなり足首に巻かれた白い包帯ほどき出した。
そして、湿布まで取り去ってしまったのである。
裸になった足首は、まだ大層腫れていて、ひどく痛々しいというのに。
快斗はあらためて自分でケガの具合を検証しているのか、いろいろな角度へ曲げたりした。
そして、それからふぅ〜っと長い深呼吸をすると、両手を使って足首をグキグキと言わせる。
すると、程なくして快斗はスムーズに足首を回して見せた。
「よっし!完治!!」
そう不敵に微笑みながら。
なんと、快斗は自分で間接をいじって、ひねった足首を治してしまったのである。
そうして。
ベンチには不要になった湿布と、包帯が散らばっていた。
快斗は、まず手前にあった湿布を取り、すぐ傍のくずかごへ放り入れる。
続いて、包帯も投げ入れるため、ある程度まとめようとくるくると巻いた。
ふと、快斗の頭に手当てをしてくれた白馬の真剣な表情が思い出される。
・・・アイツ、何、マジになってんだか。
自分の身体のことを考えてくれたのは、わかる。
怒って説教までするなんて、本気で心配してくれたのだろう。
けれども、快斗にしてみれば、そこまでしてくれる白馬がまったくもって理解できない。
だって、自分達はそこまで親しい仲なんかにはなっていないはずだ。
いや、白馬なら、あの場合、ケガをしたのが快斗でなくとも同じことをしたのだろうが。
・・・何せ、根っからの優等生だからな。
掌の上で、綺麗にまとめた包帯をポンと宙へ投げる。
・・・でも。
・・・もし、オレの正体を知ったら、アイツ、どんな顔するかな?
快斗は不敵な笑みを浮かべると、包帯をくずかごへ向かって投げた。
綺麗な弧を描いて、それは吸い込まれるようにくずかごへ落ちていく。
その様子を見届けると、快斗はベンチから立ち上がった。
そしてそのまま公園を後にする。
くずかごに残った純白のはずの包帯は、夕日に照らされてオレンジ色になっていた。