夜空を照らすサーチ・ライト。
空には、警察のヘリコプターが何台も飛び交い、パトカーのサイレンもけたたましく鳴り響いている。
その喧噪たる光景を、とあるビルの屋上から見つめる白い影が一つ。
唇には美しい微笑を刻んで。
月明かりを浴びて、その純白のコスチュームがオーラを放つかのように輝いていた。
あまりに幻想的で、まるでこの世のものではないかのように。
不意に。
辺りの空気の流れが変わった。
白い怪盗は鋭敏にそれを感じ取り、ゆっくりとその気配の方へと振り返る。
口元には、不敵な笑みを浮かべながら。
昇降口から現れたのは、白馬。
非常階段を全速力で走ってきたのか、弱冠、息が切れている。
他の警官の誰一人として、怪盗キッドがここにいることはわかってはいまい。
それをいち早く見抜いたその推理力は、さすがは名探偵と言えるだろう。
が、しかし。
キッドはそんな探偵の顔を、余裕の微笑みを乗せた眼差しで見やると、そのまま屋上を蹴ってフワリと空へ舞った。
「・・・キッドっっ!!」
懸命に伸ばした白馬の腕は、宙を切る。
そうして、キッドはそのマントを翼へと変えて、闇の中へ飛び去った。
屋上には、月の青い光に照らされた探偵の姿。
彼はただじっと、真剣な眼差しで、白い鳥が消えた空をいつまでも見据えていた。
やがて。
白い鳥は誰もいない薄暗い路地の中へと音もさせずに舞い降りる。
と、同時に白い姿から一瞬にして、ラフな格好の少年へと姿を変えた。
そしてそのまま路地裏に停まっていた車へと乗り込む。
するとそれを待っていたかのように、車は滑らかな動きで走り出した。
「・・・ご苦労様です、快斗ぼっちゃま。さすがに3夜連続でお疲れなのでは?」
運転席から品のいい老紳士が、バック・ミラーを見ながらそう声をかける。
怪盗キッドのただ1人の協力者、寺井だ。
「別にどーってことないけどさ。一応明日で一区切りつくし。やれる時にやっとかないと次の機会がいつくるかわからないからね。それよか、疲れなんかより3連続外してる事の方がオレにはショックだよ・・・。」
言いながら、快斗がそう溜息をつく。
「・・・やはり、今夜もパンドラには出会えませんでしたか。」
残念そうに、寺井も頷いた。
が、それを見て、快斗がニヤリと唇の端を持ち上げる。
「・・・でも、実はちょっぴり収穫あったりして!」
「どうかされたんですか?」
不思議そうにやや後ろを振り返る寺井を、待ち構えたように快斗はにっこり笑い
その形の良い人差し指と中指の間に小さな白いカードを挟んで見せた。
「ラブレター、もらっちゃった♪」
快斗のその物言いに、寺井は不審そうに眉を寄せる。
「・・・どなたからです?」
「さぁ?差出人の名前は書いてないけど。でも、中身は興味深いぜ?」
「中には何と・・・?」
いささか勿体つけているような快斗に、寺井はますます怪訝そうな顔を作った。
すると、快斗は流暢な英語をその口に乗せる。その目には鋭い光りを宿して。
「Stay
away from this matter.Otherwise, it is death to wait for
you. 」
《この件から、手を引け。さもなければ、お前を待っているのは死だ。》
◆ ◆ ◆
一夜明けて、江古田高校。
「うわ〜、白馬君、目が真っ赤よ!!」
席についてぼんやり考え事をしていた白馬の顔を、青子が心配そうに覗き込んでそう言った。
「・・・あ、いえ。ただの寝不足ですから。」
指摘された充血している目をやや伏せながら、白馬は青子に笑顔で答える。
「・・・そっかー、そうよね。ここのところ連続でキッドと対決してるんだもんね?無理ないわ。
うちのお父さんもクマだらけだもん。ほんといい迷惑よね、キッドの奴も。」
青子の言葉に白馬は苦笑した。
「・・・連戦連敗ですからね。指揮を取っている警部のご苦労は計り知れませんよ。けれども、今夜こそは逃がしはしないように、僕も全力でがんばります。」
そう白馬は自分に言い聞かせるように言うと、席を立った。
青子はそんな頼もしい探偵の姿を笑顔で見送る。
そして。
「・・・ほんとに、白馬君が寝る間も惜しんでがんばってるっていうのに、あのバカイトときたら・・・。
夜遊びして寝不足だからって、サボって保健室で寝てるなんて、信じらんない!!」
離席した白馬のとなりの空席を見やりながら、そう溜息混じりに呟いた。
カチャン!
と、軽い音をたてて校舎屋上の昇降口のドアを開く。
白馬はそのまま屋上のフェンスぎりぎりのところまで、足を進めた。
そうして校庭を見下ろしながら、深く溜息をつく。
直後。
「・・・っくしょん!」
背後で誰かのくしゃみが聞こえた。
「・・・!黒羽君?!こんなところで何してるんですか?」
誰もいないと思った屋上の給水搭の影に見慣れたクラスメートの姿を見つけて、白馬は声をかける。
すると、冷たいアスファルトに寝転がっていた快斗が欠伸をしながら起き上がった。
「・・・生憎、保健室のベットが空いてなくてさ・・・。」
「だからって・・・。もう12月ですよ?いくらなんでもこんなところで寝ていたら、
風邪を引いてもおかしくないと思いますが?」
まだ寝たり無いのか、目をこすりながら、快斗は、相変わらず優等生的な発言をする白馬を
うるさそうに見やった。
「・・・そういうお前こそ、目が充血してんじゃん?ちゃんと寝てねーんじゃねーの?」
・・・ま、連夜、現場に訪れてんだからコイツも寝不足は当然だろうけどな。ご苦労なこった。
快斗の質問に、白馬は目を合わせただけで何も答えない。
そして、また重々しく溜息をついた。
それを見て、快斗はおや?と思う。
このいつも嫌味なくらい自信に満ちた探偵が、少しへこんで見えるようだが。
すると、やっと白馬が先程の答えを返してきた。
「・・・どうも考え事をしてしまって、よく眠れないんです。」
ふーん。考え事ね・・・。
寝る間も惜しんで、オレを捕まえる策でも練ってるとか・・・?
快斗は制服についた砂ホコリを払いながら、立ち上がった。
「・・・ま、そんなに深く考え込まなくても・・・。お前はよくやってると思うぜ?
ただ怪盗キッドの方が一枚上手なだけっつーことなんじゃねーの?」
などと、少し意地の悪い笑いを口に浮かべて。
そ。お前がどんなにがんばったって、オレは捕まったりはしないぜ?
いささか挑戦的な快斗の言葉だったが、白馬はそれを静かな眼差しで受け止める。
「・・・いえ。僕が考えてるのはキッド自身のことです。」
・・・は?
白馬のその台詞に、快斗はきょとんとした表情を見せる。
それは、『キッド』としての素直なリアクションでもあったのだが、あえてここでは隠したりせず露にしておく。
白馬は高い空を仰ぎながら、やや目を細めた。
「・・・一体、怪盗キッドは何を考えているのか。彼ほどの腕があるならば、いくらでももっと簡単に
盗みを働くことはできるはずなんです。なのに、なぜあんな派手なやり方をするのか、僕には、どうしてもわからない。ただの快楽主義者とは思えないんです。
自分の存在を誇示するかのような華麗な盗みのパフォーマンスは、まるでマジックそのもの。
彼の犯罪自体が、まるで一つのショーとして、成り立っている・・・。」
・・・誉められてんのかな?コレって。
快斗はぽりぽりと頭をかきながら、空を見上げたままの白馬を見返した。
すると、白馬がふいに快斗を振り返る。
「・・・そういえば、黒羽君はマジシャンを目指していると伺いましたが・・・。」
「・・・まぁね。オレ、きっと有名なマジシャンになるからサインなら今のうちだぜ?」
言いながら、快斗は何も持っていなかったはずの左手から、ポンと一輪のバラの花を出した。
快斗のその技に白馬は一瞬驚いたようだったが、やがて安らいだように笑う。
「・・・黒羽君なら、同じマジシャンとして、キッドがなぜあんなショーまがいのことをすると考えてますか?」
実はキッドその人本人に聞いているとも知らず、白馬はそう快斗に助言を求めた。
「・・・さぁね。オレはキッドじゃねーから、そんなことわかんねーけど。」
ぬけぬけと快斗はそう答える。
それを聞いた白馬は、また小さくため息を漏らした。
そんな白馬を快斗は内心、クスリと笑う。
「・・・でも、オレがもしショーをやるとしたら、それはオーディエンスのためだね。」
快斗はそれだけ言ってにっこり笑うと、そのまま白馬を残し、屋上を後にした。
バタンと閉じられたドアを見やりながら、白馬は考えを巡らせる。
・・・オーディエンスのため?
・・・だとしたら、キッドにとってのオーディエンスとは一体誰のことなんだろう?
◆ ◆ ◆
キッドの犯行予告、15分前。
白馬は厳重な警備体制の敷かれている美術館内を、最終チェックも兼ねて見て回っていた。
窓の外には、夜空に大きな満月が浮かんで見える。
空気が澄んでいて空がきれいなのか、今夜は一段と月の光が輝いているようだった。
白馬の頭の中には、昼間快斗に言われた言葉がどうも気になって、残っていた。
キッドにとってのオーディエンスが一体誰なのか?
あのキッドの大胆極まりない行動が、ある特定の者に向けられているのだとすれば
そこからキッドの真の目的もおのずとわかってくるに違いない。
前々から、キッドの犯行には何らかの意味があるとは、白馬も考えていた。
・・・キッドは宝石目当ての、単なる泥棒ではない。
それは白馬の確信だった。
しかし。
だとすれば、一体キッドは誰に見せるためにあんな派手な真似をしているのか。
キッドを一目見ようと現場に訪れる多くの大衆も
物々しい警備体制を展開している日本警察も
それすら、キッドのショー・アップするための一つの駒にしか過ぎない。
謎は依然と解明できそうにはなかった。
そして、犯行時間がおとずれる。
と同時に美術館にけたたましい非常ベルが鳴り響き、怪盗キッドの来訪を告げた。
それから。
厳重に敷かれたはずの警備体制は、キッド一人によっていとも簡単に崩され
例のごとく、現場は混乱を来たす。
ほんの瞬きをする間に見事キッドは宝石を手に入れ、すぐさままた闇に掻き消えたのだった。
◆ ◆ ◆
ライトグリーンに輝く石の向こうに、きれいに満月が見える。
そう、見えるのはただそれだけ。
美術館から少し離れた高層ビル群の中の一つに、たたずむ幻想的な白い影。
怪盗キッドは手中に収めたばかりの宝石を、夜空に浮かぶ満月にかざしていた。
・・・ま〜た、ハズレかよ。・・・ったく。
目当ての石でないとわかると、キッドは時価数百億円もする宝石を軽く手のひらで遊ばせる。
もちろん、そうは簡単に『パンドラ』が見つかるわけないと思っていても、やはりこの瞬間だけは憤慨を隠せない。
4連続立て続けに行なってきた仕事も今夜がラスト。
別に手に入れるためにさほど苦労を重ねたわけではないが、今夜の獲物も『パンドラ』ではなかったという焦燥が、ここへきて一気にキッドへ疲労感を加速させた。
・・・やれやれ、だね。
シルクハットを目深に被り直し、とりあえずはこの場を去ろうとキッドは足を一歩後退させた。
その刹那、ビシッ!!と、いう音ともに何かが足元もアスファルトにめり込む。
キッドの足がさっきまで置かれていたその場所に。
アスファルトをえぐるソレを見て、キッドは目を見開いた。
続いて。
シュンっ!!
空気を引き裂く音が鳴った瞬間、今度はキッドの後ろの給水塔の壁に穴があいた。
振り返ると、壁には銃弾が数発めり込んでいる。
・・・おいおい、マジかよ?
ひびの入った壁を見ながら、キッドの表情はどこか緊迫感に欠けていた。
そもそも生命の危機に立たされたという実感がまるでない。
当たり前である。
今の今まで、誰かに銃など向けられた経験など一度もない。
普通の高校生としての生活環境にそんなものがあろうはずもないのだから。
が、それも本当に「普通の高校生」だったら、ということ。
『怪盗キッド』ならば、話は別である。
命の危険はつき物だということは、キッドを継いだ時に覚悟したつもりではあったが。
それでも、こんな風に直接的に攻撃されたのは今回が初めてだった。
キッドはニヤリと唇の端を持ち上げた。
・・・狙撃だと?上等じゃねぇか。
確実にオレを狙ってきている。・・・・プロだな。
・・・・どこにいる・・・?!
キッドは素早く身を振るがえすと、低い姿勢を保った。
そのまま目線だけは鋭く暗闇を走らせて、敵の位置を正確に探り出そうとする。
直後。
キッドの背後で物音がした。
屋上の昇降口のドアが開く音だ。
反射的にキッドは立ち上がり、ドアの方へ振り返る。
誰が来たのかなんて、確かめなくても充分過ぎるほど、キッドにはわかっていた。
一方。
キッドがこのビルの屋上にいるだろう目星をつけてやってきた白馬は、ドアを開けた瞬間に飛び込んできた白い怪盗の姿にやや満足気な笑みを浮かべ、一歩前へと踏み出そうとした。
・・・バッカ野郎!!今、こっち来んな!!
ちっ!と舌打ちをして、キッドはその足で屋上を蹴り、宙へと舞い上がる。
白いマントが白馬の上空で月明かりを遮るように大きく広がった。
白馬はキッドのその突然の行動に思わず足を止めてしまう。
「・・・来るなっっ!!」
青い月の光に縁取られたシルエットだけのキッドは、そう白馬へ向けて怒鳴った。
次の瞬間、宙にいたままのキッドの体が何かに弾かれたように一瞬だけ硬直したように見えた。
白馬の目が驚愕に見開かれる。
すると、キッドはいきなり空中でバランスを失い、崩れるように落ちてくる。
そのとき。
ほんの僅かな角度から、キッドの顔が月光に照らされたのを、白馬は見逃さなかった。
シルクハットも被り、右目はモノクルで隠されてはいたけれど。
月明かりは確かに一瞬だけ、キッドの顔を照らし出したのだ。
いや、照らし出したのはキッドの顔だけではない。
右腕のあたりが、鮮血で真っ赤に染まってしまっているそのスーツ姿も浮かび上がらせた。
・・・!!
き、君はっ!!
見覚えのあるその顔を認めて、白馬の目がこれ以上にないくらい大きく見開かれ。
そんな白馬の目の前で、キッドはまるで羽をもがれた鳥のようにまっさかさまにビルの屋上から闇の中へと落ちていく。
あまりに突然のことに、白馬は凍りついたようにその場から動くことができなかった。
「キ、キッドっ!!」
ようやくにして我を取り戻し、屋上の端からキッドが落下していた方を見るが
真っ黒な闇が広がるばかりで、その姿を確認することはできない。
白馬は慌ててビルの非常階段を駆け下りた。
ビル周辺を隈なく見て回る。
けれども、キッドの姿どころか、血痕さえも見つけることはできなかった。
白馬は地上から先ほどのビルを見上げる。
・・・もし、あの高さから落ちたら、さすがにタダでは済まされない。
ここにもういないということは、キッドはおそらく無事ということだろうが・・・。
銃で撃たれて、ヒドイ怪我をしていた・・・。
あんな体で一体どこへ・・・。
白馬の目にさっき月光に映し出されたキッドの顔が浮かぶ。
・・・あれは、確かに黒羽君だった。
白馬はまっすぐと夜空の月へとその視線を向けた。
◆ ◆ ◆
怪盗キッドは先程までいたビルから少し離れた、細い路地裏の壁に体を預け、しゃがみ混んでいた。
俯いている顔は真っ青で冷や汗が伝い、呼吸も薄く荒い。
銃弾を受けた右腕からはおびただしいほどの出血。
血痕を残さないようにと、応急処置としてきつく傷口を縛ってあるようだが、
それでも、白いスーツの右半分はほぼ鮮血に染まっていた。
撃たれたことでバランスを崩し、屋上から落下したキッドであったが、
あの後、必死で体勢を立て直し、なんとかグライダーを駆使して命拾いすることができていたのだった。
しかしここまで逃げ果せたものの、さすがにもう限界である。
キッドはこれ以上自力では動けそうもないと感じていた。
と、そこへ、すごい勢いで一台の車がやってきた。
・・・さっすが。早いね、寺井ちゃん。
キッドはもう焦点の定まらない目で、車から下りて自分の方へ駆けて来る寺井の姿を見つめながら苦笑した。
「・・・快斗ぼっちゃまっ!!大丈夫でございますか?!しっかりっ!!」
「・・・ゴ・・・メン、寺井ちゃん。ドジっちゃ・・・っ・・・・」
自分を心配そう覗き込んできる寺井に、キッドは笑顔でそれだけ言うと
もうどうにも意識を保ってはいられなくなってしまう。
・・・オレ、アイツにたぶん、顔を・・・。
キッドは屋上で別れた白馬の顔を思い出しながら、とうとう意識を手放した。
その頃、白馬は警視庁にいた。
結果的に、4夜連続でキッドにしてやられた捜査2課は重苦しい雰囲気を漂わせている。
美術館から姿を消したキッドを単独で追った白馬の行動は、警部によって追究されたが
白馬はあのビルの屋上であったことを何一つ報告することはなかった。
「・・・ふん!じゃあ君もキッドを見失ったということだな?!」
それ見たことかと、中森警部に言われても、白馬はまるで気にも留めずに
恭しく一礼だけしてその場を足早に去った。
そのまま、過去の事件ファイルが保管されている資料室へと向かう。
今から十数年前のものも含む、すべての怪盗キッド関連の情報を取り出すと
白馬は片っ端から目を通し始めた。
・・・もし、キッドが黒羽君だったとしたら、十数年前にすでに現れていたこの『キッド』とは同一人物ではない・・・。
一体どういうことだ?!
誰もいない薄暗い部屋の中で、パソコンからもれる光だけが白馬の姿を照らし出していた。
とあるマンションの一室。
つんとした消毒薬の匂いが部屋中を満たしている。
寝室の奥にあるベットの脇には、血のついた手術用具が散らばっていた。
同じように血で汚れた手をした老紳士が、ゆっくりとその用具をまとめて洗面所の方へ持っていく。
やがてそれらをきれいに洗い終えると、再びベットサイドへと戻ってきた。
「・・・ご気分はいかがですか?快斗ぼっちゃま。」
寺井はいつもの落ち着いた声で、ベットに沈んだままの主の顔を覗きこむ。
快斗はゆっくりとその瞼を持ち上げると、ニヤリと笑って見せた。
「・・・なんてことないぜ?それより寺井ちゃんってばすげぇなぁ。簡単な手術くらいならできちゃうわけ?まるで、医者だな!」
快斗の言葉に寺井は苦笑する。
まぁ、それでも寺井に医学の心得があったことは、本当に今回何よりの救いであったことは快斗自身、充分にわかっていた。
まさか『怪盗キッド』が救急車で運ばれるわけにはいかないし。
例え、キッドの扮装を解いて病院へ行ったとしても、銃の傷では通報されてしまう。
自分はそう簡単に医者へかかることなどできはしないのだ。
「・・・弾は右腕を貫通していますから、傷さえ塞がればさほど問題はないでしょう。
ですが、出血もひどいですし、しばらくは安静にされていた方がよいと思いますよ。」
そんな台詞を言う寺井の顔を、快斗はちらりと目線だけで追った。
「・・・ま、今夜はこのままここで休ませてもらうけど。
朝にはいっぺん、うちに戻って制服、取りにいかないと・・・。」
「学校に行かれるおつもりなんですか?!」
「・・・ん。まぁ、とりあえずは。」
まだ青白い顔をしたままの快斗を、心配そうに寺井は見やる。
「・・・クラスメートでもある白馬探偵に一瞬とはいえ、お顔を見られてしまったというのがイタイですね。で、どうなさるおつもりですか?」
「そりゃあもちろん!シラを切り通す!!証拠はな〜んもないからね!」
そう言って、快斗は不適に笑った。
◆ ◆ ◆
翌朝、江古田高校。
時刻は、10時40分を回ったところ。ちょうど2時間目の休み時間を迎えた頃であった。
「あ、おはよう!白馬君!!どうしたの?白馬君が遅刻するなんてめずらしいね?」
たった今教室に入ってきた白馬を捕まえて、青子がそう声をかけた。
「・・・昨日もお疲れ様。今日くらいお休みしても良かったのに。
ずっと寝ていないんでしょう?」
怪盗キッドを追いつづけて、連夜働き通しの探偵に青子は労いの言葉をかける。
事実、青子の顔を見返した白馬の顔色は寝不足がたたってか、すぐれなかった。
「・・・おはようございます。昨夜からちょっと調べ物をしていまして・・・。
つい夢中になってしまって、遅れてしまったんです・・・。」
「えぇ〜っ!?昨夜、キッドと対決した後に調べ物なんてしてたの?」
言われて、白馬は苦笑いを返すしかない。
と、自分と青子の間に挟まれた快斗の席に目を落とした。
快斗は席には不在である。
・・・無理もない。もし、キッドが彼だったとしたら、あの傷では学校になんて
来れるはずもないだろう・・・。
白馬は快斗の席を見つめながら、僅かにその目を細めた。
昨夜、白馬は夢中で『怪盗キッド』の事を調べなおした。
以前より、とっくに頭に入っていたことだが、どんな些細なことも見過ごさないように念入りに何度も見直して。
そして、さらに。
そこへ加えるべき新たなデータを昨夜白馬は手に入れたのだ。
昨日、あの屋上でほんの一瞬だったが見ることができたキッドの顔。
あれは、明らかにクラスメートの『黒羽 快斗』のものだった。
が、しかし。
一晩かかって調べても、『怪盗キッド』と『黒羽 快斗』を関連付ける重要な証拠は何一つ見つからなかった。
けれど。
逆に、『黒羽 快斗』が『怪盗キッド』だったと仮定した場合、そこにはさほど難しい推理など不要なくらいスムーズに謎が解けていくような気がしたのである。
8年前に事故で当時世界的に有名なマジシャンだったという父を亡くしているという事実。
快斗が2代目だとしたら、これも容易に説明がつく。
彼の持つ、並々ならぬ知力・体力。
もし、彼がキッドならば当然だろう。
・・・確たる証拠は何もない。
けれども、白馬は確信していた。
怪盗キッドは、黒羽君だ。
「・・・白馬君、どうしたの?やっぱり具合悪いんじゃない?顔色悪いけど?」
一人思考にふけってしまっていた白馬を、青子の声が現実に引き戻す。
「・・・あ、いえ。大丈夫です。・・・それより、黒羽君は今日はお休みですか?」
あの怪我ではしばらくは動けまいと思いながら、白馬は敢えて聞いてみる。
けれども、青子からは予想外の返事が返ってきた。
「快斗?快斗なら朝からちゃ〜んと来てるけど、来るなりまた保健室よ?
・・・ったく、ほんとにしょうがないんだから!!」
呆れたように溜息をつきながら、青子は空席の快斗の席を見つめる。
白馬はそれを聞いて、信じられないという表情を作った。
「・・・く、黒羽君が来てる?!そ、そんなっっ!!」
それだけ言うと、白馬はカバンを自分の席に放り出し、そのまま教室を飛び出していた。
「ちょ、ちょっと白馬君?!」
背中で青子の声がしたが。
白馬は廊下を駆け抜けて保健室へと向かう。
頭の中では、昨夜の血にまみれたスーツのキッドの姿が鮮明に思い描かれる。
・・・あの傷では、まだ動くのは無理なはずだ!!
黒羽君が、キッドなら・・・!!
ふと。
白馬は全速力で走っていた足を、ぱたりと止めた。
・・・それに、どうして彼は僕なんかをかばったりしたんだ・・・。
白馬は保健室ドアをゆっくりと開けた。
エアコンが効いた暖かい部屋の中には、保健婦の姿はなかった。
カーテンの敷居の向こうあるベットには、人の気配。
白馬はゆっくりとその歩みを進めた。
が、白馬は次の瞬間、視界に飛び込んできた光景に思わず目を見開く。
そこには、ベットに寝転がりながらも、枕の上には雑誌を広げ、コーラを飲んでいる快斗の姿。
「・・・げっ!白馬!!」
コーラを噴出しそうになりながら、快斗は突然現れた優等生なクラスメートに嫌そうな視線を投げた。
普段となんら変わりないようなサボりのスタイルの快斗の姿を認めて、
白馬の方が動揺を隠せない。
・・・そんな・・・はずはない。
彼は右腕を撃たれているんだ。
白馬はじっくりと観察するように快斗の方を見やる。
傷があるだろうその右腕は、しっかりとシャツで隠れてしまっているので確かめることはできないがそれでも、信じられないのは快斗は怪我しているはずの右腕をフルに動かしていたことだった。
「・・・んだよ?何か用?オレさ、ちょっと風邪引いたみたいでさ。だからサボりじゃねーんだぜ?」
言いながら、快斗はわざとらしくコホコホと咳などしてみせる。
白馬はそれには相手をせず、もう一度快斗の顔を無言でまじまじと見つめた。
・・・・顔色はあまりいいとは言えない。
撃たれているとすれば、当然だが。
そのまま、白馬はベットに投げ出されている快斗の左手をすっと取った。
「な、何すんだ!!」
いきなり手首を握られて、快斗は慌てて振り払う。
「・・・熱がありますね。」
白馬は触れた快斗の手からその体温の高さを察した。
・・・銃の傷は発熱を伴う。・・・やはり、君は・・・。
白馬は快斗の顔を見つめる。その目は探偵のそれである。
けれども、快斗も真っ向から白馬の目を見返す。
「・・・言ったろ?風邪引いたって。」
快斗はいたって明るい口調で言った。
けれどもそこには何故か、相手にこれ以上何も言わせないような迫力すらあって。
白馬は思わず、二の句を告げることができなかった。
そこへ、保健婦が入ってくる。
「こら!もう3時間目始まってるわよ!お見舞いなら休み時間にね!
早く教室に戻りなさい!!」
そう言われて、白馬は保健室から追い出されてしまう。
背後でベットに横たわったまま、ベロを出して快斗が右手を振っていたのが見えたが。
・・・また、右手を・・・!
軽い手振りで動かしている右手を見て、白馬は眉を寄せた。
快斗がキッドであることは間違いないという確信はある。
それでも、依然として白馬は証拠を掴めずにいたのだった。
白馬が保健室から消えて、そのうち保健婦の姿もまたなくなって、快斗は保健室に一人になるとベットサイドに雑誌やコーラをすべて押しやって、ようやく体をベットに沈める。
その顔は発熱のせいか、少し赤い。
右腕の傷も脈打つたびに、痛みを増す。
・・・ちょっと、無理しすぎちゃったかな・・・。
白馬はここへ自分の様子を見に来るだろう事は見当がついていた。
だからこそ、敢えてこんなマネをしたのだが。
こんなことくらいで、あの探偵の疑いを晴らすことができないのは、快斗も充分にわかっている。
・・・でも、大丈夫。
まだ、何も証拠は掴ませていないから。
快斗は目を閉じると、気を失うようにあっという間に闇の世界へ引きずり込まれていった。
昼休み。
昼食も取らずに、白馬は再び保健室を訪れる。
が、そこにはもう快斗の姿はなかった。
「・・・あ、あの黒羽君は・・?」
「さぁ?私が戻ってきた時には、もういなかったのよね。」
どうやら保健婦のいない間に、快斗は部屋を抜け出したようだった。
白馬は保健室を後にしながら、ゆっくりと校舎の屋上へと向かった。
ドアを開けると、やや冷たい風が頬を撫でる。
白馬は一歩踏み出して、フェンスのところにたたずんでいる快斗の姿を見つけた。
こんなに気温は低いというのに、学ランを軽く肩にかけたままで、白馬に背を向けて立っている。
白馬が声をかける前に、快斗の方からゆっくりと振り返った。
その顔には、薄い笑顔が張り付いている。
白馬はそのまま少し快斗との間合いを詰めると、まっすぐに快斗を見つめてこう言った。
「・・・黒羽君、君は・・・。君は、怪盗キッドだ。」
白馬のその顔は紛れもなく探偵そのもの。
今はまだ証拠は何もないけれど、その確信を本人にぶつけずにはいられなかった。
もちろんこんなことで、キッドが慌てふためくなどとは白馬も考えてはいない。
それに対して、快斗の反応はどうであったか。
内心にんまりであった。
昨夜、面が割れた時から、この探偵にはごまかしは効かないだろうことは重々承知である。
こうなることは、あらかじめ予想がついたことだ。
そして。
この生真面目な探偵が確信はあるのに、確たる証拠が掴めず悩んでいることも
快斗にはすべてお見通しだった。
・・・悪いケド、そう簡単に尻尾を出すわけにはいかないんでね。
快斗は心の中で意地悪く笑うと、次にはその顔に「何言ってんの?おまえ?」的な表情をあからさまに乗せる。
「・・・お前ね。あんまりキッドを追いすぎて、頭でもやられちゃったんじゃねーの?
な〜んで、オレがキッドなんだよ?!」
明らかにバカにしたような笑いを含んで、快斗は白馬を見やる。
すると、白馬は憤慨することなく、真面目に言い返した。
「間違いはない!キッドの顔を僕は見たんだ。モノクルはつけていても、あれは君だったよ。」
「・・・見間違いじゃねーの?」
「いや、間違いない。」
「じゃあ、他人の空似とか。世の中には同じ顔の人間が3人はいるって言うし。」
まるで、本気で取り合わない快斗に白馬はやや苛立ちを覚えて、とうとう声を荒げた。
「絶対に、黒羽君だったんだっ!!」
屋上に白馬の凛然とした声が響きわたる。
快斗はちょっとそれには驚いた様子を見せたが、すっとその目を細めて鋭い光を宿し
すぐにその唇の端を持ち上げて、にやりと笑う。
「・・・へぇ?なら、証拠あんの?」
言われて、白馬はぐっと詰まる。しかし快斗の右腕を指差してゆっくりと言い放った。
「証拠なら君の右腕にあるはずだ。キッドは昨夜、何者かに撃たれて重症を負った。
その傷が何よりの証拠だ。」
腕の傷を指摘され、普通ならとうとう快斗はどうにも逃げ場のないところまで追い込まれたことになる。
けれども、快斗から余裕の笑みが消えることはなかった。
白馬と目が合った瞬間、その笑みを一層濃くこくした快斗は、
まるで踊りだすような滑らかな動きで、その右腕をすっと自分の体の真横へ掲げてみせる。
何をしだすのかと、白馬の目が驚きに開かれてるのを、快斗は笑顔で確認すると
今度は、もう片方の手で右の袖をゆっくりと捲り上げていった。
白馬の目がなおも大きく見開かれる。
彼の目に映ったのは、やや細いながらもきれいに発達した筋肉がついた傷一つない腕。
・・・そ、そんなバカな!!
白馬の顔が驚きの表情に包まれる。
思わず駆け寄って白馬がその腕を確かめようとしたとき、快斗は小さなくしゃみをした。
「・・うわっ!!寒っ!!お前、病人になんてマネさせんだよ?
風邪が悪化したらどうしてくれる?!」
快斗は鼻をすすりながら、素早くシャツの袖を戻し、羽織っていただけの学ランもきちんと着なおした。
おかげで白馬は快斗の腕を間近で確かめることは叶わない。
「・・・これでわかったろ?残念だったな、オレがキッドじゃなくて。」
快斗はまだ信じられないという顔をしたままの白馬ににっこり笑いかける。
・・・違う!これは君のまやかしだ。
そう思いつつも、白馬はもう何も言う事はできなかった。
「・・・あ〜、なんか熱が上がってきた感じ。やっぱオレ、今日は早退しよっかな!
白馬から先生によろしく言っといてくれよ。んじゃな!」
言いながら、快斗はまだ呆然としている白馬の横を通り過ぎ、昇降口へと向かう。
快斗のその背中をみながら、白馬はもう一度声をかけた。
「ま、待ってくれ、黒羽君!どうしてあの時君は、僕をかばったりしたんだ?!」
背中越しに聞こえた白馬の問いに、快斗は僅かに目を見開いた。
が、すぐにそんな表情を消し去って、嫌そうに振り返る。
「・・・はぁ?何言ってんの?オレがいつお前をかばったんだよ?」
快斗はそれだけ言い残すと、今度こそ本当に屋上を後にした。
寒空の下、一人残された白馬は、快斗の消えた昇降口の方へといつまでも視線を向けたまま。
・・・君が何と言おうと、間違いはない。
やはり、君は『怪盗キッド』だ。
・・・でも。
それを確かめるのは、ここではないということか。
現場で、キッド本人に確かめなければならないとそういうことだね、黒羽君?
白馬の口元には穏やかな微笑が浮かんでいた。