風が鳴っていた。
教室内のよどんだ空気の入れ替えをしようと、青子は席を立ち、ガラリと窓を開ける。
とたんに舞い込んでくる冬の冷たい空気に、彼女はその身を両腕で抱き寄せた。
西の空には夕焼けの名残り。
微かに漏らした溜息さえ、肌を刺すような強風がさらっていく。
はるか上空に見える白い月が、やや金色に輝きだしたのを見て、
明日もいい天気そうだと、青子は微笑んだ。
そうして、ある程度換気が終わると青子は窓を閉め、その後ろを振り返る。
やや白い目を向けて。
「快斗、快斗ったらっ!!いい加減に起きなさいよ?もうとっくに終業のベルなったわよ!!」
「・・・あ〜ん?」
言いながら、のそのそと快斗が机から起き上がった。
あっちこっちに向いているその柔らかそうなネコっ毛を、気だるそうにかきあげながら。
幼馴染の快斗が居眠り常習犯なのは、今に始まったことではないのだが
ここ最近は輪をかけてひどい。
学校にいるそのほとんどの時間を睡眠に費やしていると言っても、過言ではないほどに。
・・・どうせ、くだらない夜遊びなんかをしてるに決まってるんだから!
快斗には実はもう一つ夜の顔があるを知らない彼女は、当然、彼の寝不足の本当の理由など知る由もなかった。
「あ〜あ、それにしてもよく寝たな!」
「そりゃそうでしょ?お昼ゴハン食べてる時以外は、ずーっと寝てたんだから。」
となりで大きく伸びをする快斗を尻目に、青子は帰り支度を始める。
快斗はそんな青子の顔をニヤニヤして見るだけだ。
普段ならこんな会話に噛んできそうな、快斗のもう片方の隣の席にいるはずの白馬は本日は私用で欠席だった。
「探偵」というからには、もしかしてどこぞの事件に御呼ばれしたのか、
それとも全くプライベートな事情で休んでいるのかは、わからないが。
どちらにしてもそんなことは快斗には関係がない。
とにかく目障りな探偵がいないだけで、学校はとても快適に感じられてならなかった。
「じゃあね、快斗!私、帰るから!快斗は掃除当番でしょ?
サボらないでちゃんとするのよ?!」
快斗の鼻先にその指をびしっと突きつけて、青子はそういい残すと軽やかに手を振って教室から出て行った。
「・・・オレって掃除当番だったっけ?」
嫌そうに眉を寄せながら、快斗は掃除用具入れのロッカーに貼ってある当番表へと目をやった。
すると、一人の男子生徒が快斗へぬっとモップを差し出す。
「おい!黒羽!!お前、掃除サボんなよ?!先週もやらなかったろ?」
「・・・あー、そういえば。」
確かに先週は仕事の下調べがあって、授業が終わったら即行で帰ったっけ?
・・・いや、悪いね。オレもいろいろアフターは忙しくてさ。
「『そーいえば』じゃ、ねーだろ?!ったく。ほらさっさと始めるぜ!
オレはこの後部活があるんだよ!!」
「了解♪」
快斗は目の前のモップを笑顔で受け取ると、掃除をするために席から立ち上がった。
◆ ◆ ◆
快斗が掃除を終えて、学校を出る頃にはもうすっかりと陽も落ちていた。
時刻はまだ5時を少し回った頃だが、冬は夜の訪れが早い。
冷たい北風に、快斗は制服の上に羽織ったコートの襟を正しながら帰り道を急いだ。
ふと。
駅前の本屋で雑誌を立ち読みしているらしい幼馴染の姿を認める。
快斗はにっこり笑うと、進路を本屋へと変えて足音を忍ばせて後方から青子に近づいた。
気づかれないように、彼女の背後から一緒に雑誌を覗き込む。
読んでいるのは、お菓子作りの本だった。
・・・あー、そういや来月はバレンタインだっけ?
青子が開いているページがハート型のブラウニーなのを見て、快斗はそう思った。
幼馴染の彼女からは、義理だがなんだか知らないが、毎年当たり前のようにもらってきた。
コイツの手作りって、いっつもウマイんだよなぁ〜・・・。
今年も一つ、よろしく頼むぜ!と思いつつ、快斗はクスリと笑うとレシピを真剣に読んでいる青子に背後から声をかけた。
「ウマそうなの読んでるじゃん?」
「!か、快斗っっ!!何よ!何してるのよっっ!そ、掃除、またサボったの?」
青子は真っ赤になって、慌てて雑誌を閉じた。
「あのね・・・。ちゃんと掃除はしてきたぜ。お前こそ何、こんなトコで立ち読みしてんの?
あ、もしかしてオレを待っててくれたとか?」
ニヤリと笑って快斗が意地悪くそう言うと、青子はそんなわけないでしょ!と言いながら
快斗をドンと突き飛ばした。
「ちょっと買いたい本があって、寄り道してただけよ!」
「へぇ?そうなんだ。あ、今の雑誌買わねーの?」
「平気よ。アレくらいレシピなんてなくたって、作れるもんっ!」
そう言ってむくれてる青子を見ながら、快斗は今年は何がもらえるのかな〜?などと敢えて相手に聞こえるようにニヤニヤ笑って言っていた。
・・・まったく、ずうずうしーんだから!
当然のように今年もバレンタインのチョコを自分からもらえるだろうと信じきってる快斗に若干腹立たしさを覚えながらも、青子はそれを否定するつもりはなかったが。
学校でも人気者な快斗は、毎年バレンタインではかなりの数のチョコレートをもらっている。
その一つ一つに、純粋な乙女の気持ちが込められているかどうかは別として、甘い物好きな快斗は素直に喜んで受け取っていた。
・・・単にチョコが好きなだけよね。
だからこそ、かえって自分も何も考えずにあげることができるのだが。
ああ、でも。
もしかしたら、今年は去年より快斗がもらえるチョコの数が減るかもね。
白馬君のファンも多くなってきたみたいだし。
それまではダントツだった快斗の人気も、いまやあの「高校生探偵」を称する白馬と二分されることとなった。
何かと対抗心があるらしい二人のことだから、バレンタインも見ものかもしれない。
青子はそう心の中で呟いたのだった。
「あ!」
自分達がいるのと反対側の歩道に、同じ制服姿の女子を見つけて青子が声を出した。
「何だよ?友達か?」
「・・・ううん。快斗、彼女の事、知らない?ほら違うクラスの・・・。
確か、金城さんっていうんだったかと思うんだけど。こないだまで停学だった・・・」
彼女の方を見ながら、青子は少し遠慮がちにそう言った。
「ああ、いたっけ、そんなヤツ。」
言われて、快斗の方もその金城という娘の方を見やった。
金色に程近い髪の色に、その幼い顔には不釣合いなほどの派手なメイク。
・・・あーあ。きっと素顔の方がカワイイんだろうにね
快斗は率直にそう思った。
金城りえという少女は、いつだったか援助交際しようしていたのが学校側にバレて、退学騒ぎにまでなったことがあるという学校ではちょっとした有名人だった。
結局、その時は未遂だった事などが考慮されて、退学は免れ、停学どまりだったらしいが。
ふーん、・・・にしても、またヤバそうなのつれてんじゃん?
ケド、ソイツは客にはアブナすぎんじゃねーの?
ハタチ過ぎの明らかにタチの悪そう男と話をしている風な彼女を見て、
快斗は、僅かに目を細めた。
けれども、快斗は視線を青子に戻し、先へ進むよう促した。
その時、突然彼女の大声が響き渡る。
「離してよ!!何すんのよっっ!!」
その声に、青子は進みかけた足を止め、心配そうに振り返った。
「か、快斗!!どうしよう?!ケンカかな?助けてあげなくちゃ!」
今にも車道を渡って向こうへ行こうとする青子の腕を引っ張り、快斗が止める。
「ほっとけよ。男女間の問題は当人同士で解決するのが一番だって。
他人が口出すこともねーだろ?」
「・・・でもっ・・・」
引き止められたのを納得いかないと、青子が快斗に食い下がろうとしたところで
またしても、彼女の悲鳴のような大声が響き渡る。
「ほらっ!彼女嫌がってるし。助けてあげないと危ないかもしれないじゃない!?あの男の人、コワそうだし。もしかしてヤクザだったりしちゃったら・・・」
腕を掴まれたままの青子はそう言って、反対に快斗の腕も引っ張る。
しかし、快斗は動かなかった。
「ほっとけって!こないだ停学になったばっかなのに、さっそく客引きなんかしてるからだろ?
自業自得だ。あーいうタイプは、一度イタイ目に合って学習した方がいいんだよ。そうすりゃ、目が覚めるんじゃねーの?」
平然とそう言ってのける快斗に、青子はほんの少しだけ彼を冷たいと思った。
もちろん、快斗の言っている事もわからないわけではないが。
でもここで、彼女を見て見ぬ振りをして帰ることなど、青子にはできそうもなかった。
「・・・だからって、困ってる人を見捨てるっていうの?
何よ!!快斗の意気地無しっ!いいわよ!青子一人でなんとかするから!!快斗は先に帰れば?!」
青子は乱暴に快斗の腕を振り払うと、車道へと飛び出し、反対側の歩道へと走っていった。
「・・・っ!おい!やめとけって・・・!!」
快斗の静止の声は、通る過ぎる車のエンジン音に掻き消されてしまったが。
・・・意気地無し・・・って、そりゃねぇんじゃねーの? このオレに向かってさ。
車道を挟んだ向こうで繰り広げられる男女のケンカに、一人の勇ましい少女が乱入していくのを見ながら、快斗は苦笑した。
◆ ◆ ◆
金髪の少女をかばうように、青子は男の前に立ちはだかった。
「やめなさいよ!彼女、嫌がってるじゃないの!!」
「ああ?何だ?てめーは?!」
タバコをアスファルトに押し付けて、男が青子を睨みつける。
青子は、やや肩を震わせながらも、男をしっかりと見返した。
「あ・・・。わ、私は・・・私は彼女の友達よ!」
「・・・友達ィ?けっ!何言ってんだか。どっちにしてもオメーには関係ねーだろ?怪我したくなかったら、引っ込んでな!オレはコイツに話があるんだよ!」
「・・・あっ!」
男は青子を力任せにドンと突き飛ばした。
思わずよろけて、車が激しく行き交う車道側に倒れかけた少女の体を、
誰かがグイと引き戻した。
青子はぎゅっとつぶっていた目をゆっくりと開けた。
そこには、先程反対側の歩道に置いてきたはずの快斗の姿があった。
「・・・ったく。アブなっかしくて見ちゃいらんねーな!」
そう言って、にっこり笑う快斗の顔はいつもの優しいものだった。
「・・・快斗・・・。」
ほっとして青子が安堵の溜息をついたのもつかの間、突然現れた快斗に、
チンピラ風の男はどすの効いた声を響かす。
「・・・何だよ?テメーは?!」
すると、快斗はニヤリと笑って言った。
「オレ?オレはタダの通りすがりのモンだけど。」
その快斗のフザけた口調がますます男の神経を逆なでした。
「ヤロウ!ナメてんじゃねーぞ?!関係ねえヤツは引っ込んでろ!!」
「ほら。怒られちゃっただろ?部外者はこういう場合口出しするもんじゃないんだって。」
自分の前でものすごい形相で男が睨んでいるというのに、まるで他人事のように気にせず、快斗は後ろにいる青子を振り返った。
「だ、だって・・・!!」
そのまるで、自分を相手にしていないような快斗の素振りが男の怒りに火をつける。
「てっめー!!」
言いながら、男は快斗の胸倉を荒々しく掴み上げた。
「何なんだよ?てめーは!!関係ないなら引っ込んでろって言ってんだろ?!」
それでも快斗の口元から笑いは消えなかった。
「関係はないよ、確かに。その金髪の子とはさ。けど、こっちはオレの連れなんでね。・・・・コイツに何かしたら、タダじゃおかないよ?」
そう言って、快斗は笑顔のまま、自分を掴み上げてる男の腕を捻り上げた。
男の腕があらぬ方向へ曲げられ、とたんに情けないほどの悲鳴が上がる。
「わ、わかったよ!!わかったから離せ!!離してくれったら!!」
男がプライドの欠片もなくあっさりと降参すると、快斗もぱっと手を離した。
すると、男は悔しそうに快斗を睨みながらも逃げるように去っていったのだった。
そんな様子をぽかんと口を開けたまま、青子は見ていたが。
自分の後ろで、金髪の彼女が小さく礼を言っているのを聞いて、我にかえった。
「あ!金城さん、大丈夫だった?!」
「・・・うん。ありがと。なんかヤバイのと当たっちゃったみたいで。
助かっちゃった。今夜は運が悪かったかなぁってカンジ。でも、彼、カッコいいね?あんたの彼氏?」
ピンクのグロスがたっぷりの唇にそう笑われて、青子は先程の快斗の言葉の意味が今ごろになってわかった気がした。
彼女に反省の色は見られない。
すると、そんな青子の肩を軽く引き寄せ、快斗がそこに割って入る。
「ったく、程々にしとけよ?んなことばっかやってると、今に冗談じゃすまなくなるぜ?」
「その時は、またアンタがカッコよく助けてくれるんでしょ?」
ネイルが綺麗なその手を快斗の方に伸ばしながら、金髪の彼女は媚びた笑いをする。けれども、快斗はその手を軽く払いのけた。
「まさか!言っとくけど、今回だってオレはアンタを助けたわけじゃないぜ?オレが助けたのは、この気の強いお節介だよ!」
手を払われて、金髪の少女は心外そうにその細い眉を寄せて快斗を見た。
青子も、快斗を見つめる。
快斗はただ静かに笑っているだけだった。
その後、金城という少女が大人しく心を入れ替えたかは知らないが、
適当なところで、快斗たちは彼女と別れた。
少しの間、沈黙したまま歩いていた青子は、チラリと快斗の方を見やった。
「・・・あ、あの。さっきはありがとう。・・・助けてくれて。」
すると、快斗はわざとらしく溜息をついてみせる。
「・・・まったくだぜ。あんまり無茶はよせよな。お前、女なんだからさ!」
「でも。助けてもらってこんなこというのも何だけど、私、悪い事したとは思ってないから!」
そう。彼女にあんな事を止めさせる為には、確かに一度くらい痛い目を見させる方が効果的な方法だったかもしれないとわかっていても。
「自分のした事、間違ってるとは思わないもん!!」
快斗の目を真っ直ぐに見て、青子は真剣に言った。
それを見て、快斗もクスリと笑う。
「いーんじゃねーの?オレも自分の考えが間違ってるとは思わねーから。」
「じゃ、じゃあ、またああいう場面に遭遇したら?」
「別に? 自分でまいたタネは自力で何とかするべきなんだよ。
他人が手を貸してやっちゃ、ダメなこともあるのさ。人生、日々勉強だろ?それに、そんな赤の他人を助けてやる程、オレもお人好しじゃねーんだよ。」
「で、でも!!快斗はさっき助けてくれたじゃない!!」
青子がそう快斗に詰め寄ると、快斗はその目を少し細めて穏やかに笑った。
「・・・青子は赤の他人じゃないだろ?」
それだけ言うと、快斗は前を向いて青子の先を歩き出した。
そんな快斗の背中を見つめたまま、青子は足を止めてしまった。
その顔は少し赤かったかもしれない。
・・・どうしよう?うれしい・・・!!
快斗には、困ってる人はどんな人でも見捨てずに助けてやってほしいと思いながらも、自分が他人とは明らかに区別してもらえたことに対して、青子は優越感を感じていた。
・・・こんなの、矛盾してる。
それでも、青子の胸は大きく高鳴っていた。
◆ ◆ ◆
青白い月光が、匂うばかりにみなぎる廃墟のビルの上に、幻想的な白い影が一つ。
闇の中でさえ、ほのかに輝いて見えるようなその影。
『怪盗キッド』である。
時刻は午前2時13分。
この約1時間ほど前に、いつものとおり首尾よくビック・ジュエルを盗み出して、
たった今、その獲物を月にかざしてパンドラかどうか確かめていたのだが。
彼は憤慨していた。
「・・・ったく!人がこんな寒い夜に、派手なパフォーマンスまでして盗んでやったっていうのに、ま〜た、ハズレかよ。」
キッドとしてのコスチュームである純白のスーツが極寒の夜にはつらいのも。
盗みを働くために過剰なパフォーマンスをするのも。
それもこれもすべてキッドが勝手にやっている事なので、それに憤慨されても困るのだが。
ま、結局は今日のところもお目当てのものにめぐり合えなかった事が、一番の原因と言える。
要するに、今夜も『パンドラ』ではなかったのだ。
「・・・いつまでもこんなトコにいても仕方ねーな。・・・寒いし。さっさと返品して帰ろっ!」
大きな白いマントを風に靡かせて、キッドがその場を去ろうとした時
ふと背後に人の気配がした。
・・・この気配は。
自分だけを追いつづけ、真っ直ぐに見つめるその瞳は。
キッドは、ゆっくりと気配の方へと振り返った。
その口元には美しい微笑をたたえて。
・・・ほんとにお前もしつこいね。コリずによくやるよな、まったく。
予告状の解読は毎度のこと。
退路での待ち伏せも、もうすっかり当たり前のようになっていた。
ただの警察連中では物足りなさを感じていたころに現れた、この探偵の存在は、
キッドに忘れかけていた緊張感と高揚感をもたらしてくれた。
だからこそ、キッドはより『ゲーム』を楽しんでやってこれたのだが。
ここのところ、白馬は、『怪盗キッド』に深く関わろうとし過ぎだ。
それは、単なる『探偵』としての領域をはるかに超えていると思う。
・・・・・・何事も度が過ぎるとよろしくないだろ?
『怪盗キッド』には、よからぬ連中がつきまとっているわけだしさ。
「必ずここに現れると思っていましたよ、キッド!やはり僕の推理には間違いはない。」
キッドの心中も知らずに、白馬はそう探偵の顔で自信たっぷりに微笑む。
その笑顔にキッドは口元だけで笑うと、シルクハットを少し目深に被りなおした。
「こんばんわ、白馬探偵・・・。
わざわざこの宝石を取りに来てくれたんですか? 貴方も気が利く人だ。
・・・・・・返す手間が省けて、私も助かりますよ。」
右目のモノクルに妖しく月光を反射させながら、キッドはぬけぬけとそう言った。
すると、白馬はやや眉間にしわを作って見せたが、その目を鋭く輝かせてキッドを見返した。
「・・・・・・では、今夜も君のお目当ての宝石ではなかったと、こういうことなんだね?しかし、盗み出してみなければわからないとは、ずいぶん骨の折れる仕事なわけだ。」
白馬の言葉に、キッドは何も返さない代わりにその目を僅かに細めた。
「・・・・・・一体、君の狙う宝石にはどんなからくりがあるんだろうね?」
白馬の射るような視線を受けながらも、キッドは物ともせずニヤリとただ笑った。
「・・・私がどんな宝石を狙っているというんです?私が何かを探していると貴方が思うのは勝手ですが。・・・・・・もしかして、私はタダの愉快犯かもしれませんよ?」
白馬はそんなキッドを見つめながら、慎重に少しずつ二人の距離を詰めていく。
一方、キッドは白馬が近づいてきているのを知りながら、敢えて後退しようとはしなかった。
ただ、不敵な笑みを浮かべて悠然と立っている。
「・・・ただの愉快犯がアヤシイ奴らに狙撃されるとは思えませんけどね。
そして、君はその狙撃してきた側についても心当たりがあるというわけだ。」
と、ここまで自分で言いながら、白馬は唐突に一つ謎が解けたような気がした。
そう。毎度のごとく、ご丁寧にも出される予告状。
そして、予告日当日の派手なパフォーマンスは、まるでその存在を誇示するような。
・・・・・・自分の命を狙うものがいるのを知っていて、そんなマネをするなんてどうかしてる。
それでは、まるで殺してくれと言っているようなものだ。
・・・・・・いや、そうではなくて。
もしかして、その逆なのでは・・・・!!
つまり、それは・・・・・・!!!
白馬の足がぴたりと止まる。
「キッド、君は・・・・。もしかして、君の命を脅かす者たちをおびき出そうとしているのか?」
白馬はその目を見開いて、月をバックに佇む白い怪盗を見つめた。
逆光でキッドの表情まではよく見えない。
が、先程までの不敵な笑みは、消えていた。
そこには、何の感情も表わさない能面のようなキッドの顔があった。
直感的に、白馬は自分が一歩キッドに近づいたことを悟った。
だが。
まだ、足りない!これだけでは、君の謎は全て解けない。
立ち止まっていた白馬の足が、再び前に歩もうとした時、シュン!と空気を切り裂く音が
闇に響いた。
続いて。
屋上のアスファルトに、小さなひび割れができた。
「なっ?!」
「ふせろっっ!!」
キッドは言いながらすばやく身を翻し、白馬から離れる。
そして、そのまま敵が潜んでいる真っ黒な闇へと視線を集中した。
白馬は言われたとおり、低い姿勢を保ちながら、なんとかキッドの傍ににじり寄ろうとする。
が、それを邪魔するかのように、キッドの周りに銃弾の雨が降り注いだ。
よけ切れないほどのいっせいの乱射攻撃に、キッドは舌打ちを一つ、顔の前で腕を交差させながら頭を庇うようにした。
・・・ちっくしょう!!どこにいやがるっっ!!
キッドは、必死で銃弾が飛んでくる方へと目をやる。
まるで狙撃部隊でもいるかのような集中攻撃に、さすがのキッドも舌をまいていた。
・・・くっそー!!仕方ねぇ!!
このままここにいたのでは、白馬まで巻き添えにしかねないと判断したキッドは、
一時、隣のビルへでも飛び移ることで、少しはこの状況を打開できるかもしれないと考えた。
今、ここで下手に動くのは相手に狙撃のチャンスを与えることにもなりかねないのだが。
・・・とりあえず、致命傷にならない程度なら撃たれてもいいか!
キッドは撃たれる事を覚悟の上で、屋上を走り出した。
再び、降り注ぐ銃弾の雨の中を、白いマントが駆け抜けていく。
ふいに、耳を切り裂くサイレイサーの音がやけに間近に響いた気がして、キッドは次に訪れるだろう肌を焼くような激しい痛みを想像し、ややその目を細めた。
けれども、いつまでたってもその痛みは訪れることなく。
代わりに、彼の視界に飛び込んできたのは、自分の前にその身を投げ出した白馬の姿。
・・・はっ・・・白・・・!!
キッドの純白のスーツに、鮮血が飛び散り、赤い染みをつくっていく。
あまりの驚きに目を見開いているキッドのその目の前で、白馬は一瞬苦しそうに顔を歪ませた後崩れるように倒れていった。
・・・・・・白馬っっ!!!・・・てめー、何やってんだ、バカヤロウっっ!!!
キッドは、急いで白馬を担ぎ上げると、連中からは死角となる給水塔の影まで運びこむ。
ひとまず、安全な場所に白馬の身を横たえると、キッドは息を殺して敵の様子をうかがった。
けれども、今回は諦めたのか、それきりぱったりと攻撃は止んだ。
「・・・・・・や、奴らは・・・・?」
左腕から溢れる出血を押えながら、白馬が上半身だけ起こした。
キッドはそんな白馬を振り返るなり、ギッと睨んでいつもらしからぬ荒々しい声で怒鳴った。
「一体、何のマネです?!こんなところで死ぬつもりですか?!」
すると、白馬は一瞬その目を丸くしたものの、やや冷や汗が浮かぶその顔に穏やかな笑みを作る。
「・・・・とんでもない。こんなことくらいでは死にませんよ。とにかく、君が無事でよかった。」
何が、『良かった!』だ!!余計なマネすんじゃねーよっっ!!
何のために撃たれるのを覚悟してまで、あんなことしたと思ってんだよ?!
お前が撃たれちゃ、意味ねーだろうがっっ!!!
と、今にも怒鳴りつけたいのを必死で押えつつ、キッドは白馬に歩み寄った。
あくまでも鉄壁のポーカー・フェイスで。
そんな風に自分の方から近づいてくるキッドに、白馬の方がやや緊張を隠せない。
「・・・・・・傷を。」
「・・・え?・・・」
キッドが小さく言った言葉がよく聞き取れず、白馬は首を傾げた。
と、キッドはそんな白馬をジロリと見ると、血を流している方の左腕を少し乱暴に取った。
「・・・っっつ!!」
白馬が傷みに顔をしかめる。
けれどもキッドは気にも留めるようすもなく、どこからか隠し持っていたナイフを取り出すと白馬の血まみれの左の袖を一気に切り裂いた。
傷口が露になる。
それを見て、キッドはほっと小さく安堵の溜息をついた。
銃弾は白馬の腕を掠めただけだったようであった。
・・・ったく、ビビらせんじゃねーぞ!
「・・・あ、大丈夫です、この程度・・・。出血は多いようですが掠っただけですので・・・。それより、あの狙撃してきた奴らを追わなくていいのですか?」
自分の傷を見てくれてるキッドを気遣うように、白馬が声をかける。
君は彼らに用があったんでしょう?とでも言いたげな雰囲気を醸し出して。
・・・んなもん、とっくに逃げられちまってるだろーが!
キッドは何も言わず冷たく白馬を一瞥すると、ポケットから白いハンカチを出した。
そのまま無言で白馬の傷へ巻いていく。止血のためだ。
白馬は。
ただ呆然と、キッドのされるがままになっていた。
いつもなら絶対に手の届かないところにいるこの白い怪盗が、今、目の前にいるというのに。
キッドを掴まえようとその手が動く事も、その素顔を暴こうとする事もなく
ただ、じっと、キッドの手元を見ているだけだった。
やがて、キッドがその口を開いた。
「・・・いいですか?白馬探偵。もう二度とこんなバカなマネはしないように。
私は自分の面倒くらい、自分で見ることができます。
・・・・・・・もし、今度こんなことをしたら、許しませんよ?」
相変わらず感情一つ読み取れないキッドの表情と声色ではあったが、白馬にはわかっていた。
彼は本気で怒っているのだということが。
それが自分を心配してくれてのことに違いないと感じるのは、白馬の気のせいではなかった。
そうして、黙ってキッドの言葉を受け止めていた白馬は一呼吸置いてから返事を返す。
「・・・僕だって、自分の身は自分で守る事はできます。以前、君だって僕を庇ってくれた事がありましたよね?だからこれでおあいこです。」
にっこりとそう笑う白馬と、キッドの眼が一瞬重なる。
が、それはほんの僅かな瞬間だけで、白馬の目は悲鳴とともに思わずぎゅっと閉じられる事になる。
「・・・い・・・!っっつ!!」
「・・・あ、失礼。」
ハンカチで傷口を縛るその手にキッドは、つい力を入れてしまっていた。
いや、もちろん、ワザとではあるのだが。
白馬が余計な口答えなんかするからである。
そうして、とりあえず応急処置だけ済ませると、キッドはすっと立ち上がった。
手元にはいつのまに抜き取ったのか、白馬の携帯が握られていた。
その長い指でナンバーをプッシュする。
どこへかける気なのかと、白馬が不審に思っていると、なんとキッドは白馬の声色を作って
話し始めた。
「中森警部ですか?白馬です。キッドを追っていたらアヤシイ連中に遭遇して負傷してしまいました。・・・・・・たいへん申し訳ありませんが、車を一台こちらに回していただけますか?・・・ええ、あ、はい。大丈夫です。・・・大した事はありませんから。すみません、キッドには逃げられましたが、宝石は無事キッドから取り戻しました。」
まるで本人そのものの声でツラツラと語っているキッドを目の前にして、
白馬はあんぐりと口を開けてしまったが。
ひととおり話し終ると、キッドは無表情のまま携帯を白馬へ投げてよこした。
「・・・・と、いうワケでもうすぐ迎えが来ますから、今日のところは大人しく帰って、
すぐに医者に診てもらうことですね。」
淡々とそれだけ言うと、白馬に背を向ける。
「・・・あ、ありがとう、キッド。・・・その、いろいろと・・・。」
まさか迎えまでご丁寧に呼んでもらえるとは思っていなかった白馬は、そのあまりのキッドの気の回しように、思わず顔が緩んでしまう。
キッドはそんな白馬を肩越しにチラリと見返すが。
微かにその口元に笑いを浮かべると、屋上を蹴って、闇の中へと飛び立っていった。
一人、残された白馬は、キッドが手当てしてくれた傷口にそっと手を当てた。
その顔には、うれしそうな笑みをほんのりと浮かべて。
一方、闇夜に飛び去った白い鳥は。
眼下に拡がる夜景を見つつ、小さく溜息を漏らしていた。
なぁ、青子。訂正するぜ?
どうやら世の中には、学習能力もないヤツってのもいるらしいな。
こういうタイプはイタイ目を見たって、コリるどころか、かえってがんばる気力さえだそうとしやがる。
・・・ったく、始末におえねーよ。
などと、ぼやきながらも。
本当にイタイ目を見たってわからないのは、白馬ではなく、自分の方なのかもしれないとキッドはそう思っていた。