毒々しいネオンが辺り中に撒き散らす夜の繁華街。
その一角に建つ、とあるビルの裏の狭い通りは、表の華やかさとは打って変わって酷く寂れている。
ゴージャスの欠片もない関係者通用口の扉が軋んだ音を立てて開くと、中から一人の少年が現れた。
快斗である。
キャップを目深に被っているので一見して顔は見えにくくはあるものの、特段、変装らしい変装はない。
要するに、彼は素顔だった。
人気のない薄暗い路地に一人立った快斗は、肩にかけただけだったジャケットに腕を通しながら、空いている手でキャップを脱いだ。
ネオンが眩しすぎて星など見えない夜空を仰ぐと、手ぐしで髪を軽くかき上げ、再びキャップを被りなおそうとしたところで、不意にその動きが止まった。
黒い瞳が僅かに見開かれる。
快斗の視線は、路地の先に立つ人影に注がれていた。
・・・げ。 白馬っっ!
自分を真っ直ぐに見つめているその人物が誰だか認識した快斗は一瞬にして、今日この場で変装を怠った自分を酷く呪った。
が、そんなことを思ったところで、今更、後の祭りである。
白馬が何でここに?!
尾行された覚えなんかねーぞ?!
それとも何か? オレの出入りしそうな店とか言って、ここをマークしてたとでも言うのか?!
・・・なワケはないか。 いくらなんでも。
本来なら、白馬を蹴り倒してでもこの場を去りたい気持ちだったが、顔を見られてはどうしようもない。
快斗は一呼吸置くと気を取り直して、やや不愉快そうに白馬のへ向き直った。
この場合、不愉快そうなのは半分演技で半分は本心である。
「・・・黒羽君っっ???どうして君がこんなところに???」
「・・・・・・・お前こそ、何でこんなところにいるんだよ?」
白馬はその色素の薄い瞳を大きく見開いて、快斗を見つめている。
本気で驚いているその様子からして、快斗は自分がはられていたのではないことを確信した。
つまり、ここでこうして二人が出会ってしまったのは、本当に紛れもない偶然だったのだ。
この場合、白馬にとってラッキーであったろうが、もちろん快斗にとってはアンラッキーだったとしか言いようがない。
驚いた表情から一変、白馬はすっかり探偵の顔になって快斗を見据えた。
「──奇遇ですね。こんなところで、まさか君に会うとは。僕は今、君が出てきた店について、ちょっと気になることがありまして
、独自に調べていたところだったんですが・・・・。」
先程とは違い、落ち着いたトーンで言う白馬はゆったりと微笑む。
薄い唇に笑みを乗せたまま、白馬は快斗を真っ直ぐに射た。
「君はそこで、一体何をしていたんです?」
「──何って、バイト。」
快斗はあっさり言い放つ。
「バイト?」
片方の眉だけつり上げた白馬に、快斗は事も無げに首を縦に下ろした。
それはウソではなかった。
ただ厳密に言えば、実際はバイトと称して店に潜入し、怪盗キッドの仕事に関して有力な情報収集をしていたのだが。
快斗の言葉をどう受け取ったのか、白馬は明らかに疑いの眼差しを濃くする。
「キッチンの奥で皿洗いしてんだよ。深夜労働だから、時給も良くってさ。」
「・・・なるほど?しかしお小遣い稼ぎにバイトするには、少々場違いな気がしますが。ここがどういう類の店か、まさか知らないとは言わせませんよ?」
「何だよ?セレブなオジさんらの会員制の高級クラブってことか?」
「そうです。各界の著名人が会員として名を連ねている敷居の高い店だ。ただの高校生がバイトするには、いささか不自然過ぎではありませんか?」
だろうね。 実際、オレはただの高校生じゃないし?
心の中でそう呟くものの、快斗は「さぁ?」とだけとぼけた。
なおも追求の眼差しを向けてくる白馬に、快斗は明後日の方を見ると大げさに溜息をつく。
「大体、どこで何をしようがオレの勝手。お前には関係ないだろ?」
「確かに。だが、黒羽君の行動においては、僕は多いに関心があります。君の正体に近づく手がかりになりますからね。」
そうにっこりと笑う白馬は、明らかに何かを確信した顔だった。
だが、そんな白馬を前に、快斗は相変わらずのポーカーフェイスを決め込んでいた。
確かに今日
ここで白馬と出食わした事は、快斗にとっては多少イタくもあったが、それでももちろん致命傷には至らない。
白馬がいくら勝手に確信を持とうが、決定的な証拠を与えた事には成り得ないからだ。
とはいえ、これ以上、ここに居るのも得策ではない。
快斗はそう判断すると、会話を打ち切り、踵を返す。
「───ま、お前が何を想像しようが勝手だけど。じゃ、オレはこれで。」
「黒羽君!」
足早に去ろうとする快斗を白馬が呼び止めた。
肩越しに小さく振り返っただけの快斗に、白馬は「また明日、学校で」と小さく微笑むが。
快斗はそのまま何も言わずにフイと顔を前に戻して、その場を立ち去った。
そうして、路地に一人佇む白馬は。
しばらく快斗の消えた方向を見つめたまま、その笑みを濃くしたのだった。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
都内、某マンションの一室。
白馬と別れた快斗は、尾行には最新の注意を払ってその部屋へたどり着いていた。
高層マンションの最上階に位置するそこは、怪盗キッドとしてのアジトの一つである。
12畳ほどのリビングに置かれたソファに、どっかりと腰を下ろした快斗の背後から一人の老紳士が現れた。
同時に室内に甘い香りが漂う。
香りにつられて振り返った快斗の目の前に、熱いココアが入ったカップが差し出された。
さんきゅーvと快斗が受け取るのと見届けてから、寺井は改めて口を開く。
「・・・しかし、そんなところで彼と出食わすとは。災難でいらっしゃいましたね。」
「───まぁね。」
「いくら情報収集のみとはいえ、仕事の一環には違いがないのですから
、お顔は隠された方が。今回、出入りされていた店とて、危険なゴロツキの溜まり場のようなもの。ヘタに覚えられでもしたら、厄介なことになります。」
「ああ、そのへんは大丈夫。中は暗がりで顔はほとんど見えないし、一応、キャップで隠してはいたから。」
「ですが、店から出てくるところを素顔を知っている人物に見られては、元も子もありません。しかもよりによって、相手はあの・・・・。」
「いやぁ、さすがのオレも、まさかあの場に白馬が現れるとは思いもよらなくてさ。けど、まぁ問題はないよ。」
悪びれた様子もなく快斗はにこやかに笑い、ココアの入ったカップに口をつける。
そんな少年に老紳士は諭すように説いた。
「───油断は禁物です。いつ何時も。」
その言葉に快斗は瞳だけ向け、
「肝に銘じとくv」
と、片手を軽く挙げてウインクして見せる。
それから一気にココアを飲み干して、話題の転換をはかった。
「ところで、例のモノは準備できた?」
「はい、こちらに。」
そう言って、寺井が用意したトレイの上に乗っていたのは、一枚のカード。
黒く塗りつぶされたそのプラスティック製のカードの表には『aqua』とだけ、そして裏には会員bニして『1416』と記されていた。
快斗はそれを手に取ると、ニヤリとする。
「さすが、寺井ちゃん。どこからどう見ても、あの高級クラブ『aqua』の会員証だね。」
「ええ、思いっきり偽造させていただいておりますが。」
「じゃあ次回はこれを持参して、きちんと正面からお客として行くとしよう。」
「では、あの店に潜入した甲斐があったというワケですね。ソレらしい情報でも入手できましたか?」
寺井の問いに対して、快斗はその偽造会員証を器用に指先で回転させながら、ニッコリ笑う。
「胡散臭い宝石商の男がいてね。扱うモノは世界のビッグジュエルで、しかも盗品と来てる。」
快斗の台詞に、寺井はなるほどと頷いた。
怪盗キッドが求めている宝石が、いつも正当な所有者のもとにあるとは限らない。
世界に名高い宝石でも、盗難で行方知れずモノはいくつものあった。
だからこそ、裏で取引されている宝石にも目を光らせておく必要があるのだ。
「扱ってる全商品のカタログとかあったら、見せて欲しいなぁって思うんだけど。今後の仕事に有効に使わせてもらいたいんでね。」
そう呟いた少年は、確かに怪盗の顔をしていた。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
翌日、江古田高校。
昼休みを迎えた教室内には、にぎやかな学生達の声が響く。
その喧騒から遠ざかるように、快斗は一人屋上へと続く階段を上っていた。
手には、先程購買部で買ったパンとジュースを持って。
パックのジュースにストローを刺しこみ、一口飲み込んだところでちょうど到達した屋上への入り口であるドアノブに手をかける。
鍵のかかっていないドアを開けると同時に、外の風が舞い込んで快斗の癖のある髪をさらった。
少々強風が吹きつける屋上の景色を快斗は満足そうに目を細めて見、そしてその顔は一瞬にして崩れる。
独り占めできるはずだった場所は、すでに占領されていた。
「・・・・・・何でお前がいるんだよ?」
「おや、いけませんか?」
にこやかに微笑みかける白馬に、快斗はうんざりした顔を作るとそれ以上は何も語らず、くるりと回れ右をした。
白馬がいるなら屋上へは用はないとばかりに立ち去ろうとする快斗の背中に、白馬は慌てて声をかける。
「待ってください、黒羽君。」
「何だよ?」
イヤそうに振り返った快斗に、白馬は構わず笑顔を送る。
「君に話があるんですよ。少しで構わないので、お時間をいただけませんか?」
・・・・・・オレはお前と話すことなんか、ないけどね。
とは言わずに、快斗はちゅーっとジュースをストローで吸いながら、渋々その探偵の申出を受ける事にしたのだった。
「───昨夜の件です。」
「・・・ああ?」
当然、予想どおり切り出された話に、快斗は興味無さそうな生返事をする。
快斗の方をじっと注意深く見つめる白馬とは対照的に、見つめられている快斗はどこ吹く風だ。
「君がアルバイトしている、あの『aqua』という高級クラブについてですが・・・・」
「バイトなら、昨日でやめたよ。」
白馬の話を遮るように、快斗は途中で口を挟んだ。
快斗の言葉に、白馬は目を見開く。
「やめた?!」
「ああ、もともと短期のバイトだったんでね。昨日がラスト。」
パンをかじりながら言う快斗に、白馬は何かを考え込むような仕草をしつつ、「そうでしたか」と頷いた。
「では、良かった。僕は、あの店に出入りするのはあまりよろしくないと、君に忠告しようと思っていたところだったんですよ。」
「忠告?」
快斗の瞳が、ようやくにして白馬の方へ向いた。
「ええ。あの『aqua』という店のオーナー、ご存知ですか?政界、財界と顔の利く人物ですが、それだけではなく、裏の世界にも力を及ぼすと言われ、あまり良い評判は聞きません。あのクラブのVIPルームでも、一体何が行なわれているやら。僕の考えでは、クラブの会員には闇の家業を持つ危険な者達もいるのではないかと───。」
真剣に語る白馬を、快斗はパンを頬張りながら見つめた。
事実、白馬の推理はあっている。
あの高級クラブ『aqua』は、政界、財界の汚職の巣窟であり、違法な取引の現場でもある。
だからこそ、怪盗キッドとして必要な情報を入手するため、潜入する価値があったわけなのだが。
「・・・・ふ─ん?そうなんだ?」
パンを食べ終わって口をもごもごさせながら、そんな事どうでもいいよさげに快斗は言う。
白馬はそんな快斗を見、続けた。
「まぁ、僕がそう推理するには、ちゃんとした根拠がありましてね。」
白馬はそう前置きしてから、以前、自分が関わった殺人事件の犯人が凶器である銃を、『aqua』に来ていた武器商人から買ったいう情報を掴んだと話した。
・・・・・なるほどね。
それであの店をはってたのか。
昨晩の事が本当にアクシデントだったのだとわかると、快斗は自分の運のなさを嘆いた。
「───とにかく、そういうわけで。銃器の売買などする物騒な輩がいるような危険な店には、君に出入りして欲しくなかったものでね。まぁ、君の場合、どうしてもあの店に入り込まなくてはいけない事情があったのかもしれませんが。」
白馬は最後のフレーズをより強調させながら、快斗を面白そうに見返した。
白馬が言うところの快斗の事情とは、もちろん怪盗キッドとして何かをあの店で掴もうとしていたということを指す。
快斗をキッドと思って疑わない、白馬ならではの台詞である。
けれども、快斗はそんなことには動じはせず、軽く流した。
「余計な心配しなくても、オレはもうあそこのバイトはやめたし。お前こそ、そんなヤバそうな店なら一人で探ってないで、ちゃんと警察に任せた方がいいんじゃね─の?」
「ええ、まぁそうなんですが。すべてはまだ、僕の憶測の域を脱したわけではないので・・・。警察側としても、確たる証拠なしに、令状を取って店に乗り込むわけにはいきませんからね。」
苦笑いを交えながらそう言う白馬に、快斗は「あっそ。」と興味薄に吐き捨てる。
それから飲み終えたジュースのパックを器用に折りたたみながら、白馬の顔を見ずに言った。
「───話はこれで終わりだな。じゃ、オレは教室、戻るから。」
脇を通り過ぎようとする快斗を、白馬は呼び止めた。
「黒羽君。」
「・・・まだ何かあんのかよ?」
嫌々振り返った快斗に、白馬は微笑をたたえる。
「僕は、昨夜、君にあの場所で会って、自分の推理の確信を持てました。」
「・・・・は?」
「君が出入りしているということで、すでにあの店は『黒』だ。」
「───意味わかんねーんだけど?」
一瞬の沈黙の後、風が鳴ったのを合図に、白馬はにっこりした。
「気にしないで下さい。僕の独り言です。」
挑発的なその台詞に、快斗は取り合えうのもバカバカしいとでも言いそうな表情をしてから踵を返す。
去っていく快斗の背中に、白馬がもう一声をかけた。
「黒羽君。あの店は危険ですので、もう出入りしないでくださいね。」
それには返事をせずに、快斗は昇降口のドアを開け、階段を下りていく。
背後に刺す様な視線を感じながらも、快斗はペロリと舌を出していた。
───まぁバイトでは、もうあの店には行かないけどね。
今夜あたり、お客としてお邪魔はさせてもらうぜ?
ただし今度はバッチリ変装させてもらうから、お前が気づくようなことは絶対ないけどな。
そう心の中で呟きながら。
◆◆◆ ◆◆◆ ◆◆◆
夜。
賑わいを見せる繁華街の中で、一際ゴージャスな店構えの門が開いた。
高級クラブ『aqua』である。
入り口にはガタイのいい男達が立ち並び、客が提示する会員証を念入りにチェックしている。
黒塗りの高級車で乗り付けてくるのは各界の著名人だけでなく、明らかにヤバそうな連中も大勢いた。
そんな様子を同じく黒塗りの車の窓から、覗く紳士がいた。
紳士というには、まだ若いか。
その身なりからして、青年実業家という風体かもしれない。
とはいえ、中身は紛れもなく怪盗なのだが。
「繁盛してるなぁ。」
「先程から見ている限り、訪れる客はそうそうたる顔ぶれです。」
運転手役の寺井が前を見たまま、相槌を打つ。
そして、ミラー越しにその後部座席の人物を見る。
「会員証はちゃんとお持ちですか?」
「ああ、これがなくちゃ始まらない。あとは店内で例の男を探して、商談に持ち込むだけ。VIPルームが見渡せるモニタールームの場所もわかってるし、さしたる問題はないから、楽勝ってね。」
ニカっと笑うその表情は、いかにも少年らしい笑顔だ。
けれども、そんな彼を心配そうに寺井は振り返る。
「───ですが、白馬探偵もここを嗅ぎ付けているということですし・・・。」
「心配しすぎだよ。オレがあの店に出入りしてたということがバレても、変装をしてしまえば、誰がキッドかなんて特定は無理。第一、今日はキッドじゃない。単に、ビックジュエルの情報をいただきに行くだけなんだしさ。」
言い含めてもまだ心配げに見守る寺井を残して、ニセの顔をした快斗は後部座席から降り立った。
「じゃあ行って来る。あとは、打ち合わせどおりに。」
ウインク一つした後、キリリとそのニセの顔に相応しい表情を作ると、快斗は店の入り口へと向かった。
寺井の偽造した会員証を提示し、早々に快斗は店へと消えていく。
その様子を見守った後、寺井はアクセルを踏んで店の前から去った。
それから、少し遅れて。
一人の少年が現れる。
きちんとしたスーツに身を固めたその少年は、入り口で会員証の提示を求められると、胸元から黒いカードを取り出した。
店の男はそのカードと少年をしばし交互に見比べるが、やがて彼の入店を許可する。
そうして。
白馬が店内に入り込んだ事を、その時の快斗は知る由もなかった。